こんにちは!
今日も暑い・・・。
今日は、ミサに、二週目、連続で、出席し、
完全復活を、遂げたと思える。
今日は、洗濯も終わり、これから、母のところへ・・。
なんとも悲しいけれど、苦しまないように、
できれば、完全に直って、110歳過ぎまで生きてほしいと思う。
祈りのご協力を宜しくお願いします。
私も、今後のために、近くの施設勤務を、目指して、
試験を、受験した。
合格して、よい生活の再出発を目指したい。
今の勤務も、勿論ちゃんとしているつもり・・・。
そして、生活面では、
主の昇天と聖霊降臨の主日から、奇跡的に、
再出発をした教会生活によって、
今後の生活が、非常に精錬されることを、深く感じる。
何とか母と父に、良い時が与えられますようお祈りください。
父も勿論、高齢だし、弟もまだ重症なので、
もっと早くに、こうすべきであったけれど、大学の卒業と
介護福祉士の資格取得のために時間がかかった。
神道天行居の皆さんの心使いに心から感謝したい。
そして、一日も早く、全てに、納得の行く結婚を、します。
せっかく受講した、オリエンス宗教研究所の
幸せな結婚講座を十分に生かしたい。
追加
怖いものだ。初期の活動の頃、いくつかの悪いイメージを、
頭に記憶されてしまっている皆さんの一人が、
近年に、年をとって、へりくだった関係になったとしても、
様々な苦しみの中で、記憶を話してしまったことによるのか?
突然亡くなったとのことで、これは私のせいかも知れない、
きっと寂しかったに違いないと
少しづつ思えてきた。
近年の初期の活動のすれ違いとも、自分自身の未熟さゆえの
摩擦を持った人々が、次々に亡くなった。
いつも原点に返ろうと基本から考えると
難しい事が起こったりする。
しかし、生身の人間の私なのだから、
自分自身が、人として、扱われずに、親や上司?
のような人々に頭越しに行かれると、
日常の努力が、かえって、関係のすれ違いに重くのしかかる。
日々の日課もなるべく早くに復活したいものだと思う。
或は、私もまた、大きなすれ違いのうちに
まもなく死ぬだけなのか?と思ったりするが、
私は、これらのことは、神のものと信じて、
どうやって、正しく事を知り、人々に伝え、
重要な要を、共有して、良い社会にするかを
考えつつ生きるだけだ。
私の死もまた神の範疇なのだから。
出来れば告解したいが、それを赦さなくなってきている昨今だ。
今回の相沢先生(享年82歳との事)が、晩年、一生懸命に、
公共の場所としての教会にしたく活躍されていた事を感謝し、
しかし、これほどの、現実には、公共公正を求められている社会が、
教会であることも「私の不快感の表明」の背景にあることも
また、理解してほしい。
皆、それぞれ、夢に向かって、社会を構成しようとしており、
決して、日本や社会の仲間はずれになるために、
教会があるのではないことをできれば感じてほしい。
日々生活費に悩む私は、明日の葬儀には参加しない。
今日の通夜式で精一杯だ。
Pietro Francisco Xavier Francisco
Hiroyuki Sawaguti.
今日も暑い・・・。
今日は、ミサに、二週目、連続で、出席し、
完全復活を、遂げたと思える。
今日は、洗濯も終わり、これから、母のところへ・・。
なんとも悲しいけれど、苦しまないように、
できれば、完全に直って、110歳過ぎまで生きてほしいと思う。
祈りのご協力を宜しくお願いします。
私も、今後のために、近くの施設勤務を、目指して、
試験を、受験した。
合格して、よい生活の再出発を目指したい。
今の勤務も、勿論ちゃんとしているつもり・・・。
そして、生活面では、
主の昇天と聖霊降臨の主日から、奇跡的に、
再出発をした教会生活によって、
今後の生活が、非常に精錬されることを、深く感じる。
何とか母と父に、良い時が与えられますようお祈りください。
父も勿論、高齢だし、弟もまだ重症なので、
もっと早くに、こうすべきであったけれど、大学の卒業と
介護福祉士の資格取得のために時間がかかった。
神道天行居の皆さんの心使いに心から感謝したい。
そして、一日も早く、全てに、納得の行く結婚を、します。
せっかく受講した、オリエンス宗教研究所の
幸せな結婚講座を十分に生かしたい。
追加
怖いものだ。初期の活動の頃、いくつかの悪いイメージを、
頭に記憶されてしまっている皆さんの一人が、
近年に、年をとって、へりくだった関係になったとしても、
様々な苦しみの中で、記憶を話してしまったことによるのか?
突然亡くなったとのことで、これは私のせいかも知れない、
きっと寂しかったに違いないと
少しづつ思えてきた。
近年の初期の活動のすれ違いとも、自分自身の未熟さゆえの
摩擦を持った人々が、次々に亡くなった。
いつも原点に返ろうと基本から考えると
難しい事が起こったりする。
しかし、生身の人間の私なのだから、
自分自身が、人として、扱われずに、親や上司?
のような人々に頭越しに行かれると、
日常の努力が、かえって、関係のすれ違いに重くのしかかる。
日々の日課もなるべく早くに復活したいものだと思う。
或は、私もまた、大きなすれ違いのうちに
まもなく死ぬだけなのか?と思ったりするが、
私は、これらのことは、神のものと信じて、
どうやって、正しく事を知り、人々に伝え、
重要な要を、共有して、良い社会にするかを
考えつつ生きるだけだ。
私の死もまた神の範疇なのだから。
出来れば告解したいが、それを赦さなくなってきている昨今だ。
今回の相沢先生(享年82歳との事)が、晩年、一生懸命に、
公共の場所としての教会にしたく活躍されていた事を感謝し、
しかし、これほどの、現実には、公共公正を求められている社会が、
教会であることも「私の不快感の表明」の背景にあることも
また、理解してほしい。
皆、それぞれ、夢に向かって、社会を構成しようとしており、
決して、日本や社会の仲間はずれになるために、
教会があるのではないことをできれば感じてほしい。
日々生活費に悩む私は、明日の葬儀には参加しない。
今日の通夜式で精一杯だ。
Pietro Francisco Xavier Francisco
Hiroyuki Sawaguti.