おはよう・・・!
母の心配をして、改めて、自身の行動の原点を、
思い出した。
やはり、親子とは、そうゆうものであるに違いない。
多くの人々は、目先の行動で、人を、制することで、
精一杯に生きていて、欲望と愛と現実に、区別が、無いように思える。
しかし、やはり、それは、決して、良いとは、言えない。
しかし、高齢者施設での、知的労働者達の苦労は、
精一杯に、それを、利用して、行われているとも言える。
私も母を、かまわないで、月に一度会うくらいで、偉そうにしながら、
仕事に生きていたら、母の苦労は、半分だっただろうと思う。
確かに、母は、12人兄弟の12番目で、
幸せな、独身時代だっただろうから、死期を告げられて、
きっと、その事が、前面に出て、息子を、恨んでしまったのだろう。
それでも、冷静に、私自身、考えれば、戦争で、教育を、
あまり、受けられなかったとしても、社会教育が、
順調であった面が、あるから、55年の子育て?の
重さに代わりはないし、大きな事をしてくれたのだ。
そのことに喜びを感じてくれると、良いのだが。
そしてそれは、神を知る手がかりになるけれど、
時遅しであろうか?
ローマのパパ・フランチェスコ様はじめ、
社会的柱の皆様が、私たちの価値を、受け止めてくれるならば、
きっと判ってくれると信じたいところだ。
自分自身の無駄な呟きを、悔いつつも、
今後の、家族への、社会への貢献を、考えてゆきたい。
Pietro Francisco Xavier
Francisco 澤口 宏行
母の心配をして、改めて、自身の行動の原点を、
思い出した。
やはり、親子とは、そうゆうものであるに違いない。
多くの人々は、目先の行動で、人を、制することで、
精一杯に生きていて、欲望と愛と現実に、区別が、無いように思える。
しかし、やはり、それは、決して、良いとは、言えない。
しかし、高齢者施設での、知的労働者達の苦労は、
精一杯に、それを、利用して、行われているとも言える。
私も母を、かまわないで、月に一度会うくらいで、偉そうにしながら、
仕事に生きていたら、母の苦労は、半分だっただろうと思う。
確かに、母は、12人兄弟の12番目で、
幸せな、独身時代だっただろうから、死期を告げられて、
きっと、その事が、前面に出て、息子を、恨んでしまったのだろう。
それでも、冷静に、私自身、考えれば、戦争で、教育を、
あまり、受けられなかったとしても、社会教育が、
順調であった面が、あるから、55年の子育て?の
重さに代わりはないし、大きな事をしてくれたのだ。
そのことに喜びを感じてくれると、良いのだが。
そしてそれは、神を知る手がかりになるけれど、
時遅しであろうか?
ローマのパパ・フランチェスコ様はじめ、
社会的柱の皆様が、私たちの価値を、受け止めてくれるならば、
きっと判ってくれると信じたいところだ。
自分自身の無駄な呟きを、悔いつつも、
今後の、家族への、社会への貢献を、考えてゆきたい。
Pietro Francisco Xavier
Francisco 澤口 宏行