香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  

2015年06月08日 22時03分02秒 | Weblog
こんばんは!

今日も、こんな時間になった。

かなり全力で、今後の生活について、考えながら

今の、介護の仕事を、したり、今後の生活について、

考えているため、まさに、帰宅すると、しばらく、何もできず、

本当に、気力を振り絞って、入浴した後に、これを書いている。

今日の母は、私の、こんなコンディションに、敏感に、

かなり影響されていた。

つまり、いつもの私の、環境要因チェックの厳しさを、

はっきりと肯定できる日であった。

素直な就業環境は、全てにおいて、宝とも言える。

何の仕事でも同じこと。

先日の「総理大臣だから尊敬するか?」と言わんばかりの内容の、

安倍総理からのナンセンスともいえるメールに、解答しなかった私の

正しさを、思い起こしている。

ただ、それでも、正しい情報発信と情報収集は、

重要であり、全ての基本だと思う。

軽い考えを、しないで、日々、心して、生きて行こう。

明日は、おば達が、東京から、やってくるはずなので、

心ばかりのお土産を、弟に託した。

明日もまた、良い一日である事を、心より、神に願いたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco 澤口 宏行

聖書の親しみ

2015年06月07日 20時53分04秒 | Weblog
こんばんは!

まるで、昨日のブログを、読んだかのような

今日の母の不調だった。

食事が、・・・まさに「喉を通らない」。

つまり、嚥下を、時々忘れてしまうらしい。

医師の冷たい言い方を、まねたわけでもないが、

私の直接的な治癒に対するこだわりに、

いくら年寄りでも、大きなショックなのだと思う。

今日は、あさってには、東京から、

東京都庁を、定年退職した従兄弟が、

母の12人兄弟中、たった一人残ったすぐ上のおばを

連れてきてくれる事になった。

いとことしての話は、「もう長くないから」

と言う理由で、会いに来てもらうことになった。

しかし、母も、私が毎日、夕食の時中心に、

施設で、食事介助や励ましをするので、

生きる気力が、戻ってきつつある。

しっかりと指をなめて、力を入れているのが、

なんともありがたい。

このまま奇跡を、神に願いつつ、母にも納得のゆく、

良い「私の助けてである妻を決めたい」と思っている。

神が、私に、そのための、正しい知恵を、

お与えくださる事を、信じている。

神に感謝を捧げたい。

Pietro Francisco Xavier 

Francisco 澤口 宏行

聖書の親しみ

2015年06月05日 22時11分35秒 | Weblog
こんばんは!

いつの間にか、今日も、ぎりぎりの時間になってしまった。

今日の夕食は、半分以上食べてくれた。

まだまだ、日本人の意識は、

予断を、赦さないと考えるべきであろう。

つまり、母もまた、そんな、肝心な家庭の価値を、

理想の家庭愛の原型を、棚上げしている

日本の地域社会に、生きてきた。

そのために、私自身の結婚を、考えた時、

母としての愛と、個人的な愛とが、未分化のところが、

見受けられるようだ。

つまり、決定的なところで、判断できない?

むしろ、若い女性が、男性の親など、死を持って、

結婚を、与えてほしいようにも見えるので、

・・・それが、やっと私にも、わかってきたのだが、

当然、そこには、私や私の家族との間で、

大きな矛盾になっているから、心配なのだろう。

日本の社会が、法律違反の「大人の女優?/AV女優」を、

無数に、生んできているらしい

今の日本社会の流れの原因だろう。

ここまで、日本社会のレベルが、下がってしまったのは、

まさに「想定外」と言えるが、今の政治は、それを利用し

議員の保身や不勉強の隠れ蓑にしているように見える。

問題は、根深そうだが、結局は、自分の実力を

問われるためのハードルと考えてもいいであろう。

いっそうの純化と強化を心から願いたいと思う。

Pietro Francisco Xavier 

Francisco 澤口宏行

聖書の親しみ

2015年06月04日 21時37分29秒 | Weblog
こんばんは!

なんとなく時間を無駄にした。

今日の母は、すさまじかった?

やはり、あまりひどい状態ならば、

母の死も覚悟しなければならないと本当に思う。

長いこと、キリスト教徒は?を話すのに、時間を、

割いたが、無駄だったのか?

苦しい展開ながら、苦しみを見かねて、

どんな最後がいいのだろうと考えると、

今までの時間が、無性に無駄に思える。

もっと早く直接的な言葉がけと

通じる努力と誠意が、必要であったのかもしれない。

これからは、素直に、神に祈りつつ、ともに過したい。

母自身の思いは・・・・?

Pietro Francisco Xavier

Francisco   澤口宏行

聖書の親しみ 

2015年06月03日 19時32分27秒 | Weblog
こんばんは!

今日は、昨日よりも、少し、今日の時間が、長く残っている。

それ故、多少、多くの人々の目に、触れるかな?

日本人の多くの皆さんに、十分、注意してほしいのは、

「自分を、大きく見せたいために、自分の立場を、

わきまえない言動を、しないこと」が、重要だと言うこと。

それが自分自身を見失ったりせずに、正しい気遣いに繋がる。

現代日本人は、自画自賛第一で、全てを、失って、初めて、

その「自分自身の悪乗り」に気づくことが、多そうに見える。

過剰な管理精神は、本来、それを、する者の「怠惰」であり、

仕事中ならば、単なるサボリだ。

その者に呆れて、冷たく冷えた私ゆえに、それを、その者に、

指摘しなかっただけであることに、気づけない者は、

完全な破産状態が訪れるであろう。

甘く見ないほうが良い。

さて、それでは、健全な社会、構成する個人個人の

健康な発達と発展を祈る。

Pietro Francisco Xavier 

Francisco 澤口 宏行

聖書の親しみ  日常の凌ぎ合い

2015年06月01日 21時02分00秒 | Weblog
こんばんは!

安易な態度が気になることがある。

これは、何に起因するか?私には良く分析できる。

しかも、個別に詳しくである。

しかし、それを行うことで、

たとえば、精神科の病気の治癒に繋がるような

施設を、持ってはいない。

これは私のせいではない。

もう一度冷静に考えてほしいと訴えたとしても、

その違いが判る生活を知らないのが、99パーセント以上の

日本人の環境だ。

政治の世界では、全ての政治家が、宿命的に、

大言壮語になることが確実な土壌ともいえるし、

それがそのまま一般社会に根付きつつあるし、

伝統的にそんな社会であり、起こっては、消えるのが、

普通の日本社会とも言える。

当に、「諸行無常の理を表す」だ。

私のエネルギーにも限界があり、

幼さと若さのエネルギーを、全力で、その問題に使えた時代は、

私から過ぎ去り、今後は、静かで、クレバーな生涯になる。

一個人から見たら、やっぱり一億は、巨大な数字であり、

かつての様に、社会全体を巻き込んでの問題認識の促しは、

もはや、できない年齢だ。

諸君・諸子、諸氏・諸士・諸師の奮起を、期待する。

病床で、半ば、放心状態の母を、思いつつ、

心ある皆様のお祈りに感謝しつつ、

更なるお祈りを期待しつつ、また私自身のお祈りと

可能な限りは、ミサ奉仕することの今後を、約束し、

それに相応しい結婚と

就業を期待しつつ祈り信じたいと思う。

私から権威や権力や実権を取らないほうが身のためだと

遅ればせながら、かつてのようにお伝えしておきたい。

Pietro Francisco Xavier

Francisco 澤口宏行