やっと書けます。
まず初めに、このブログの前に書いてある、
エビオスで薬疹。一個前のブログ。
これがスタートでした。私には(アナタにはゴールでも)
2022年12月の中旬あたりから、
薬疹の痕から、この病気の痕に変わって行った。
しかし、
その時は、なぜか、手足口病だと私は思っていた。
間違いないと!(それがのちに悲劇に変わるとは)
最近では、ネットで色々調べられるし、
医者のブログや、記事などが見られる。
そこで、勝手に自分で、これは、手足口病だと!
信じてやまない!(信者か!)
手足口病だと、2週間くらいで治ると。
そして病院へ行っても、処方されることもない。
そのままで治る。
と言われている。
だから、そのまま自宅待機。
ちょうど、正月休みになったし。
すると、、、、、。
2023年正月。
体調が悪い。
大人になってから初めて、正月ソフトドリンク!!!
麦茶だよ!
明けましてじゃないよ!ソフトドリンクじゃ年明けないよ!
この私が、そこまで体調が悪い。
そして、酒飲むと、発疹が増える。
まあ、仕方ない。
手足口病が治り次第。挽回してやるさ(酒の?)
で、2023年1月5日。
仕事始め。
しかし!
う。
動けない。
う、
痛い。痛い。痛い。
え?
歩けない。。。。。
悪化した。
この時の症状は、
左腕が動かない。激痛としびれ。
手に力が入らない。
なので、右手で左腕をもって、動かす。移動させる。
動かないから。そして激痛だから、痛くないように、右手で支えながら移動。
そして、右手は、手の甲が、ぼっこり腫れる。ひりひりする。
で、前歯の歯茎に、ありえないほどの口内炎。
手足口病って思うじゃん(勝手にな!)
ここまでは、耐えられる。
ペットボトル自力で開けるのが困難だったけど。
力あるうちに、全部のペットボトルを開けておいた。
そして、この病気の真骨頂。
足!
足にきた。
ベッドから、立ち上がれない。
両足ともに力が入らない。棒だ。
そして、激痛だ。
両ふくらはぎ。ぱつんぱつん。
かなり腫れている感じ。見ても赤くないし。
もともと太いから、腫れているかわかんない。
痛みで判断しかない。
と、
ももの裏。ハムストリングス。両足とも。
激痛。筋肉痛の最大のやつ。
マラソン大会後的な。
で、ももの前。大腿四頭筋。
使いものにならない。力が入らない。
だから、立つのに、勢いが必要。
助走みたいな。
やっと立てたら、歩くんだけど、
ここからは、両ふくらはぎの激痛と戦う。
やっと、トイレ。
しかし、しゃがむ時、ハムストリングスの最大級の筋肉痛が、
襲ってくる。次から次へ。波状攻撃だ。
それに耐え、トイレを済ます。
熱もあったと思う。
この後、副鼻腔炎勃発。後鼻漏も追加!
余計寝れない。
もう、この5日からは寝ていない。
風呂も入っていない。
歯も磨いていない。
着替えていない。
1月11日になる。6日経過。
飯も食欲がなくなってきた。
笑いもない。
あれ?
手足口病って2週間で治るんだよな?
過ぎてるよ?
もう寝てないし激痛だし熱あるし、
私は何をしているんだ?
なんで耐えているんだ?
これ明日もか?あさってもか?よぎる。
11日21時過ぎ。相棒を見てる時。
風邪薬を飲んだら。動機がした。心臓が危ない。
「気力と、、、、体力の、、、限界!」(名言集上巻より)
もう私には限界だった。
ちょうど、偶然、その日の午前中に、着替えだけしていた。
臭いじゃん。着替えてたからさ。ちょうど。
救急車を呼んだ。
家の外までは歩いて出られたが、
階段は無理だった。
そしたら、車いすに座って、階段の段差を、
うまく、下りられる車いすだった。
助かった。着替えてたし(臭いじゃん。十分臭いよ風呂入らずは)
21時30分過ぎ。
救急車の中。
少し、安堵した。
三人の救急隊がいたので。
部屋で一人より。
そこからが、私の検査しながら、
他の二人は、近所の病院へ電話。
片っ端から。
しかし、ちょうどコロナのピーク。
どこも断られる。
だんだんわたしの熱が上がっていく。
37,38,39度、、、。
まずい。平熱35度の私。
これはヤバい。
そして、熱があると、受け入れ先も、渋る!
断られる。
コロナの可能性だろう。
ひっ迫しているから。入れない。満員。
2時間経過。
戸田市、川口市、さいたま市。都内。
志木市、、、など。
全滅。
そして、
「一か八か作戦で行きましょう!」
と。
救急隊も怖いこと言う。
「このまま6時間いたことあります。
このままだと、今回も!」
「なので、
入院前提じゃなく」
「診断だけ、診てもらうだけを条件に、
受け入れてもらいましょう」
帰らされる可能性も大いにある。とのこと。
だろうな。
でも、もう、それしかない!
それしかない!と。
うまくいけば、入院できると。
(うまくいけば?どういうことだよ!)
まあ、この時は、入院したかったし。
うまく入院方向へ行ってほしかった。
その方向で、作戦が開始された。
こえーなー。診断だけで帰宅は悪化しかない!!
ようやく、
受け入れ先が見つかる。
富士見市だ。
両親にも来てもらった。
そうじゃなきゃ、入院前提で来やがったなと思われる。
帰りの足がないと。
両親に迷惑をかけてしまった。
0時を回って、
イムス富士見総合病院へ。ららぽーとの隣。
で、心電図とか、血液検査とか、血圧とか、熱とか。
検査が始まる。
血圧が上がる上がる。180を超えた。
ちょうど血圧の薬を飲んでいなかった。
偶然だ。前回のブログで、薬疹がでたので、
全部の薬をストップしていた。
これがラッキーだった(どこがや!苦しいだろ!
ろ)
発疹も。
両足にかなりある。腹にまで出てきてしまった。
重症度が増えていく。。。。。
で、2時過ぎ。
病院側「入院です!!!」
私「は~良かった~」
(良くねーんだろうけど)
涙ぐみながら、安堵した。
3時に個室病棟へ。
着替えて、寝る。
両親には迷惑かけたけど、安心したと思う。
こんな状態の私が家に帰っても、危険だらけだ。
次回、入院編。
誰だよ!手足口病って言ってたやつ!(おめーだよ)
初めて気力と体力の限界を感じ、心が折れた。
心が折れること。名言を放つこと。
こっちのが大事マン。
誰だよ!
負けないこと、なげださないこと、逃げ出さないこと、信じぬくことって!!
あぶねーよ!
まず初めに、このブログの前に書いてある、
エビオスで薬疹。一個前のブログ。
これがスタートでした。私には(アナタにはゴールでも)
2022年12月の中旬あたりから、
薬疹の痕から、この病気の痕に変わって行った。
しかし、
その時は、なぜか、手足口病だと私は思っていた。
間違いないと!(それがのちに悲劇に変わるとは)
最近では、ネットで色々調べられるし、
医者のブログや、記事などが見られる。
そこで、勝手に自分で、これは、手足口病だと!
信じてやまない!(信者か!)
手足口病だと、2週間くらいで治ると。
そして病院へ行っても、処方されることもない。
そのままで治る。
と言われている。
だから、そのまま自宅待機。
ちょうど、正月休みになったし。
すると、、、、、。
2023年正月。
体調が悪い。
大人になってから初めて、正月ソフトドリンク!!!
麦茶だよ!
明けましてじゃないよ!ソフトドリンクじゃ年明けないよ!
この私が、そこまで体調が悪い。
そして、酒飲むと、発疹が増える。
まあ、仕方ない。
手足口病が治り次第。挽回してやるさ(酒の?)
で、2023年1月5日。
仕事始め。
しかし!
う。
動けない。
う、
痛い。痛い。痛い。
え?
歩けない。。。。。
悪化した。
この時の症状は、
左腕が動かない。激痛としびれ。
手に力が入らない。
なので、右手で左腕をもって、動かす。移動させる。
動かないから。そして激痛だから、痛くないように、右手で支えながら移動。
そして、右手は、手の甲が、ぼっこり腫れる。ひりひりする。
で、前歯の歯茎に、ありえないほどの口内炎。
手足口病って思うじゃん(勝手にな!)
ここまでは、耐えられる。
ペットボトル自力で開けるのが困難だったけど。
力あるうちに、全部のペットボトルを開けておいた。
そして、この病気の真骨頂。
足!
足にきた。
ベッドから、立ち上がれない。
両足ともに力が入らない。棒だ。
そして、激痛だ。
両ふくらはぎ。ぱつんぱつん。
かなり腫れている感じ。見ても赤くないし。
もともと太いから、腫れているかわかんない。
痛みで判断しかない。
と、
ももの裏。ハムストリングス。両足とも。
激痛。筋肉痛の最大のやつ。
マラソン大会後的な。
で、ももの前。大腿四頭筋。
使いものにならない。力が入らない。
だから、立つのに、勢いが必要。
助走みたいな。
やっと立てたら、歩くんだけど、
ここからは、両ふくらはぎの激痛と戦う。
やっと、トイレ。
しかし、しゃがむ時、ハムストリングスの最大級の筋肉痛が、
襲ってくる。次から次へ。波状攻撃だ。
それに耐え、トイレを済ます。
熱もあったと思う。
この後、副鼻腔炎勃発。後鼻漏も追加!
余計寝れない。
もう、この5日からは寝ていない。
風呂も入っていない。
歯も磨いていない。
着替えていない。
1月11日になる。6日経過。
飯も食欲がなくなってきた。
笑いもない。
あれ?
手足口病って2週間で治るんだよな?
過ぎてるよ?
もう寝てないし激痛だし熱あるし、
私は何をしているんだ?
なんで耐えているんだ?
これ明日もか?あさってもか?よぎる。
11日21時過ぎ。相棒を見てる時。
風邪薬を飲んだら。動機がした。心臓が危ない。
「気力と、、、、体力の、、、限界!」(名言集上巻より)
もう私には限界だった。
ちょうど、偶然、その日の午前中に、着替えだけしていた。
臭いじゃん。着替えてたからさ。ちょうど。
救急車を呼んだ。
家の外までは歩いて出られたが、
階段は無理だった。
そしたら、車いすに座って、階段の段差を、
うまく、下りられる車いすだった。
助かった。着替えてたし(臭いじゃん。十分臭いよ風呂入らずは)
21時30分過ぎ。
救急車の中。
少し、安堵した。
三人の救急隊がいたので。
部屋で一人より。
そこからが、私の検査しながら、
他の二人は、近所の病院へ電話。
片っ端から。
しかし、ちょうどコロナのピーク。
どこも断られる。
だんだんわたしの熱が上がっていく。
37,38,39度、、、。
まずい。平熱35度の私。
これはヤバい。
そして、熱があると、受け入れ先も、渋る!
断られる。
コロナの可能性だろう。
ひっ迫しているから。入れない。満員。
2時間経過。
戸田市、川口市、さいたま市。都内。
志木市、、、など。
全滅。
そして、
「一か八か作戦で行きましょう!」
と。
救急隊も怖いこと言う。
「このまま6時間いたことあります。
このままだと、今回も!」
「なので、
入院前提じゃなく」
「診断だけ、診てもらうだけを条件に、
受け入れてもらいましょう」
帰らされる可能性も大いにある。とのこと。
だろうな。
でも、もう、それしかない!
それしかない!と。
うまくいけば、入院できると。
(うまくいけば?どういうことだよ!)
まあ、この時は、入院したかったし。
うまく入院方向へ行ってほしかった。
その方向で、作戦が開始された。
こえーなー。診断だけで帰宅は悪化しかない!!
ようやく、
受け入れ先が見つかる。
富士見市だ。
両親にも来てもらった。
そうじゃなきゃ、入院前提で来やがったなと思われる。
帰りの足がないと。
両親に迷惑をかけてしまった。
0時を回って、
イムス富士見総合病院へ。ららぽーとの隣。
で、心電図とか、血液検査とか、血圧とか、熱とか。
検査が始まる。
血圧が上がる上がる。180を超えた。
ちょうど血圧の薬を飲んでいなかった。
偶然だ。前回のブログで、薬疹がでたので、
全部の薬をストップしていた。
これがラッキーだった(どこがや!苦しいだろ!
ろ)
発疹も。
両足にかなりある。腹にまで出てきてしまった。
重症度が増えていく。。。。。
で、2時過ぎ。
病院側「入院です!!!」
私「は~良かった~」
(良くねーんだろうけど)
涙ぐみながら、安堵した。
3時に個室病棟へ。
着替えて、寝る。
両親には迷惑かけたけど、安心したと思う。
こんな状態の私が家に帰っても、危険だらけだ。
次回、入院編。
誰だよ!手足口病って言ってたやつ!(おめーだよ)
初めて気力と体力の限界を感じ、心が折れた。
心が折れること。名言を放つこと。
こっちのが大事マン。
誰だよ!
負けないこと、なげださないこと、逃げ出さないこと、信じぬくことって!!
あぶねーよ!