ほんの小さな幸せ~

編み物のことや花、時々ペットや書道のことも。日々の感動などつらつら綴っていこうと思います

神様はバリにいる ・バンクーバーの朝日

2015-01-22 15:57:09 | 映画


昨日は今年初めての映画鑑賞
年末年始は多忙な主婦業優先とし、
やっと心の健康のために動き出した

観たいものはいろいろあるのだけれど、次回との兼ね合いなど考えて
暮れから気になっていた”バンクーバーの朝日”と
”神様はバリにいる”
にした



”神様はバリにいる”

予告篇を観た感じでは、派手派手な画像にチョット引いていたのだが・・・


会社経営に失敗し借金を背負った祥子(尾野真千子)は死ぬために訪れたバリで
巨万の富を築いた実業家(アニキ 堤真一)から、経営のノウハウを教わりながら
次第に気持ちを前向きに、もう一度やり直そうと決心する

アニキのなんとも型破りな発想、言葉、行動
(それがすべて地元の大人こどもの為にしていることなのだが)
祥子のやけくそのような会話

最初は なに コレッ  って感じだったけれど

その会話がまた関西弁?なので、ほんわか楽しい雰囲気をつくっていて

つい笑ってしまうようなコメディー


アニキの表情、言葉使い 歩き方をまじまじ観てしまった
まるで ”マッサン”の鴨居の大将を観ているよう



”バンクーバーの朝日”

カナダの日系移民野球チームの実話


カナダ人よりもずっと賃金がやすく厳しい労働条件のなか、生きていくため細々働いている
住んでいる家も服も、食べ物もずっとヒドイ
差別もいたるところで見られる

そんな中、野球チームを作り練習に励んでいる
昼間の過酷な重労働をした後の練習
いつか勝って見せるという強い執念がみんなを一つにしている

体力では勝てないが、バントや盗塁といった頭を使ったプレーで勝ち越していく
日常の差別や軽蔑のなか生きている日本人の代表であるバンクーバー朝日が
自分たちの代弁者となったのだろう
周りの日本人たちも一丸となって応援していく
そして、とうとうカナダチームを破り頂点にたつ

いつしか朝日の頑張りをカナダ人も認め一つになっていく


戦前、カナダにも移民がいっていたという事をこの映画で知った
もっと日本の歴史を知るべきだとつくづく思った


このバンクーバー朝日はどこで撮影されたのだろうか
日本人街のセットが凄かった



最後に
神様はバリにいる
は、ネットに上映時間147分と出ていた
そのため、次のバンクーバーの朝日まで時間がなく忙しい昼食となったが、
時間が来ないとかで入場ができず???
それもそのはず、ネット上の誤記で正式には107分(これ本当かな!?)
40分もあれば、美味しいものも食べられた~



紙の月

2014-12-02 23:54:41 | 映画

(クリックして画像拡大)

平凡な主婦(梅澤梨花・宮沢りえ)が銀行の契約社員の営業マンとして働くようになる。
顧客の孫という大学生の光太(池松壮亮)と知り合いになり過ごすようになる。
ある日通りかかった化粧品売り場で声を掛けられ、商品を買おうとするが
手持ちが少し足りない。そこで、顧客から預かったお金を借りてしまう。
最初は1万円だったが、金銭感覚と日常が少しずつ狂い始め
光太への援助やマンション、身の回りの物など次から次へとお金を使った。
最終的には1億に・・・・。

そう、よく聞く話

126分ではやはり無理なのかもしれない。
夫(田辺誠一)との微妙なズレ、専業主婦が働くに至るまでの心の葛藤
などの場面がもう少し欲しかったな と思う。
光太と2回目に会って名前も思い出せないくらいの人と、ホテルにいくまでの
微妙な心の動きも。
ただ、少ない登場人物(石橋蓮司、近藤芳正、大島優子、小林聡美)だけで、
あの緊迫したストーリーを展開させていることに驚く。
目の動きだけで心を表現する宮沢りえに流石と思った。
最後、椅子でガラスを割って逃げる場面、迫力あったな。
どれだけ走ったんだろう!



紙の月は怖いもの という先入観があった
テレビで見ても恐怖感が強くすぐチャンネルを変えてしまった
原作者角田光代の八日目の蝉は怖くて最後まで見られなかったので
この作品もそのイメージがあった

それなのにこの映画を観ようと思ったのは、
映画の内容が怖いものではなく、
もしかしたら自分も同じ事をしてしまうかもしれない
という潜在意識が怖いのだろうという一言があったから

何にしても、こんなことする人って、
頭いいんだなぁ~って思った




グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札

2014-11-08 15:15:32 | 映画




洋画はほとんど観ない が、この映画は観たいと思った


ハリウッド女優のグレース・ケリーと言う人がいた事も
彼女がモナコ大公と結婚したことも
私は、この映画を観るまで知らなかった



映画はグレースが最後の映画を撮り終えスタッフに別れを告げるところから始まり
その日から一ヶ月後の4月 結婚式をあげる
華やかなハリウッドを人気絶頂の時に離れ、100万キロも離れたモナコへ嫁入りした
この時26歳。

この頃ヒッチコック監督が「マーニー」の脚本を持ってやってくる
結婚から6年経っても王室に馴染めないグレースは 
レーニエ公ともギクシャクしていることもあって、女優業に心を動かされる

そんな折 ド・ゴール大統領から法人税や所得税を課し、
その利益をフランスに支払うよう求められ モナコ公国は存亡の危機に晒される

そこで グレースがたちあがり一世一代の大芝居を演じる  というもの






家族や側近 ゲスト達と昼食中の別荘で、その出来事は起こった


フランスが提示した条件で今夜中に合意しないと・・・
そのタイムリミットに深い悩みを抱えたレーニエ公と、
映画出演騒動にずたずたになったグレースが最悪の言い合いをする


白いユリの花から始まって髪型、そして映画出演は断れ!と・・・
更に、「結婚は強要していない。自分からモナコにきたんだろう!」
「夫より映画か!」
「たかが映画よ」
「たかが女優さ」

忍耐に限界のグレースは
「映画の問題じゃない。ド・ゴールはモナコを乗っ取るつもり。
あなたは聞く耳を持たず考えもしない。臆病で決断力もなく、恐怖に怯えているだけ」と
言ってのけた。

危機に面している夫婦仲も公然の知るところとなり居たたまれなくなるグレース



その夜アメリカの実家に電話をする
気持ちの持っていきようがなく沈んでいる時
母親と話をし何かを言ってもらいたい
そんな心境だったのだろう
ところが
「まさかアメリカに戻らないでしょうね?」
「お父さんが生きていたら ”ハリウッドだと?
もう女優じゃない。分かっているな、グレース”っていうわ」
普通に会話がしたかっただけなのに更に追い打ちをかけられる

もう選択の余地は無い!
自分の居場所はモナコしかない。
自分自身と愛するレーニエ公と子供の為に生きる決心をする

それからモナコの歴史や習慣 外交儀礼などお妃講義を完璧にこなす
フランス語や作法も・・・
マスコミを味方につけるべく、封鎖されている国境付近でフランス軍に差し入れをしたり
した

サミットの夜、晩餐会に出るため待っていたレーニエ公は
完璧なまでに凛としたグレースに気おくれがしてしまうが、
スピーチでは今までになく熱心に話す
そんな君主としての大公を理解するようになる

ところが、ド・ゴール大統領の暗殺未遂事件が起こり、
レーニエ公はまたしても絶望の淵に立たされる


家族の為に一大決心をするグレース
モナコ赤十字の舞踏会にド・ゴール大統領を招待し そこで・・・

グレースは群衆もマスコミをも味方につけていた

舞踏会のスピーチで大喝采をあびる。
愛の力があれば世の中が正しい道に導かれると。
世界を良くしたいと、飾ること無く気持ちを込めて話すグレース。

それを見ていた大統領もいつしか拍手を送っていた。




洋画はほとんど観ない

吹替えでは声のイメージがつかめないし、字幕は読むのが大変という事で

ところが今回はどうしてもこの
「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」
が、観たくなった

「字幕を読み、映像を観、考える」
チョット気を抜くと内容がとんでしまうので、必死にスクリーンを見つめる
よそ見なんて出来ない

観ていて思った。
字幕も最大限の言葉を駆使して表現しているんだろうけど
原語のまま分かればもっと深い所まで理解できるんだろうな と。

日本語さえ曖昧なので 私には無理だけど・・・ 
これから勉強して・・ 

なんてことは絶対ない




ふしぎな岬の物語

2014-10-22 10:24:43 | 映画



「ふしぎな岬の物語」を観た

第38回モントリオール世界映画祭で 
審査員特別賞グランプリ、エキュメニカル審査員賞
の2冠に輝いた

和服姿の吉永小百合さんが受賞のあいさつを、フランス語で、
一語一語かみしめる様に話す姿がとても感動的でした

若かりし頃よりも今の吉永さんが好き
特に飾らない自然体の吉永さんが・・・


「ふしぎな岬の物語」は・・・


のどかな太陽と海に抱かれて、静かな時間が流れる岬のカフェ
ホントに岬の突端にポツンと建つログハウスの感じ
店主の淹れる美味しいコーヒーといっぱいの優しさが岬の住人に愛されている

コーヒーを入れるために、舟を漕いで湧水を汲んでくる
店主の悦子(吉永小百合)が淹れるコーヒーはとっても美味しい
「おいしくな~れ おいしくな~れ」と念じながらいれるだけなのだが。


この岬カフェにはいろんな心の傷をもった客が訪れる

母親を亡くしたばかりの少女が父親と虹を探しにやってくる
たまたま寄ったカフェで虹を見つける
岬カフェの壁には虹の絵がかざってあるだ。

この絵は悦子の亡き夫シュウイチが描いたもの
悦子もまたここに描かれた虹をもう一度見たいと毎日探しているのだ


ある時ドロボーがカフェに入って来た
このドロボーも虹の絵に見入ってしまう
悦子に見つかってしまうが、悦子はドロボーには見向きもしない
彼が割ってしまったコーヒーカップを大事そうに拾い、
「ドロボーさん、お金ならレジの中にあるのが全てよ」という
その後、コーヒーを二人で飲みながら身の上話を聞いてやる
生きる希望をもったドロボーは
大事に持っていた出刃庖丁をお礼にそっと置いて帰っていく



常連の谷さんが大阪に転勤になった
早く言えば退職を暗示する左遷だった
独り者の谷さんが仕事を辞めるともう何も無くなってしまう
毎日一人でなんの拠り所もなく過ごさねばならなくなる
考えてみればなんと悲しく淋しい生活ではないか!
大阪に行けば岬カフェには来れなくなる
悦子が大好きだけれど、言葉には出せず大阪へ出発する
陸路を行けば早く経費もかからず行けるものを、わざとフェリーで・・

悦子も谷さんが好きなのだけれど、言葉には出さず
岬からめいいっぱい手を振って見送っていた
岬の悦子とフェリーの谷さんの最後の涙のわかれ・・・



浩二(悦子の甥 阿部寛)の同級生で岬に舞い戻って来たみどり(竹内結子)
親と大喧嘩の末飛び出して行ったので親とは素直になれないでいる
が、大病を患っている父親を看病するうちに少しずつ気がほぐれていく

最後まで迷惑をかけまいとする父親だがみどり宛のお金を残して死んでいく
やはり親という者は最後まで・・・・


そういう悦子も老いて体がきつくなってくると
精神的にも辛くなってくる
かつて「だいじょうぶ だいじょうぶ」
と、励ましつづけた悦子だが、淋しく悲しい思いをぶつける相手がいない

そんななか、岬カフェが火事にあう


全てを無くしてしまって生きる希望も無くしてしまうが
再建のためにと母親を亡くした親子をはじめ ドロボーさん 岬の住人などなどが
心ずくしのものをもって駆け付けてくれる

辛い思いをしていても

「だいじょうぷ。だいじょうぶ。私達みんな一緒だよ」 と。



 

蜩ノ記 ひぐらしのき

2014-10-16 21:41:07 | 映画
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蜩ノ記を観た
TVや新聞で情報を見るたび、早く観たいものだとワクワクしていた
やっと実現して 今は至福の気分である



豊後の羽根藩。元郡奉行の戸田秋谷(役所広司)は
ある事件を起こしたとして10年後に切腹することを
そしてその日までに藩の御家譜を完成させることを命ぜられる

切腹までに後3年という頃
これまた城中で喧嘩騒ぎを起こし、
命によって秋谷の監視役となった檀野庄三郎(岡田准一)が
家譜の清書をするなどして秋谷と生活を共にするうちに
秋谷の事件に疑問をもっていく

切腹の原因になった事件に一つも言い訳をせず黙々と家譜作りに勤しむ
後3年で切腹する人とは思えない淡々とした毎日
家族もそれを支えている

淡々と過ごす秋谷は
「死を恐れていない訳ではない。命が惜しくて眠れぬ夜を過ごすこともある。」
「人は誰でも死ぬ。50年後100年後には寿命が尽きる。それがしは、
それをあと3年と区切られているだけのこと。されば日々を大切に過ごすだけである」
と、庄三郎にいう


やはり中根家老が自分の身を守るため また秋谷と最後まで競うため仕組んだことのようだ


秋谷は家譜を完成させた後、家族と庄三郎 領民を守るために、切腹の命を果たした


この「蜩ノ記」を観て感じたことをかいておきたい

所作 立ち居振る舞いに感動。
秋谷が書状を開く時の手の動きや
お辞儀の時の手の動き 上半身の傾き加減などハッとさせられた。

実は、着付けの先生から和服を着た時の所作を口うるさいほど仕込まれた。
随分前に亡くなられたが、この映画を観て先生の教えを感動と共に思いだした
先生も凄い人だったのだな と。

岡田准一の時代劇役者として、また確実なものにしたに違いない
(この映画は「軍師官兵衛」の前に撮っている)

切腹の時に着る白装束を妻の織江(原田美枝子)が縫っていた。
その日髷も整えてやる。
どんな気持ちで針を動かし、髷を整えられたのだろうと思う




 最後の日、織江が点てたお茶を書斎で飲みつつ ・・・

秋谷が織江の手を愛おしむように握りながら聞いた
「われらはよき夫婦であったとわたしは思うが、そなたはいかがじゃ」
「さように存じます。わたくしはよき縁をいただき、よき子らにも恵まれたと思うております」
「悔いはないか」
「はい、決して悔いはございませぬ」
織江が迷いのない返答をすると秋谷も微笑む
「わたしもだ」
言いきった秋谷は、織江にやさしい眼差しを向ける


涙 涙 なみだ ・・・・


涙がとまらなかった