ksfactory kumiのブログ

湘南平塚をホームに活動している、ボディ・エネルギーワークの山田久美子のブログです。
ぼちぼち更新(^^)お願いします!

2023.3.24 伊勢原 (伝)大友皇子陵へ。

2023年04月01日 | 西湘探険隊
こんにちは、久美子です。
今日も観にきてくださって、
ありがとうございます🙇‍♀️

さて、浄発願寺→奥之院の後は、丁度中間あたりに有る(伝)大友皇子陵へ。

こちらも2度目のご挨拶🙇‍♀️
以前は弱々しい松が植ってましたが、ちょっと見当たらず、大きな椿と山桜の花が目を引きました。




乙巳の変(大化の改新)の中心人物である、
中大兄王(天智天皇)の嫡男にして、皇太子であった大友皇子。
《あさきゆめみし》の世界。

天智天皇の死去後、叔父の大海人皇子(天武天皇)とその後継を争って(壬申の乱)敗れ、
自害したとされる悲劇の皇子。
そのお墓が伊勢原にある。

まぁ、歴史書はその時の権力者が(良い様に)書き換える可能性は常について回りますが、石碑によると、
どうも、『天皇の皇子が争いの際にこの地まで落ち延び、ここで亡くなったので、ここに埋葬してお祀りします。』
という私的ザックリ訳。

まぁ、なんとか逃そうとしてくれた人が居た位には慕われて居た様です。

前述の通り、大友皇子は《皇太子》として立っていた訳で、その流れならそのまま《天皇》に即位するのが順当。
しかし、大友皇子が皇太子になる前の皇太子は大海人皇子だった。
天智天皇が息子に継承を希望し、それまでの天智天皇のやり方(意にそぐわない者は粛正)を知っていた大海人皇子は皇太子を退位し、吉野で隠棲。
そして、新たに皇太子になったのが、大友皇子。
という訳。

『全部、天智天皇のせい』とも言えるかも知れない。

もし、大友皇子と大海人皇子が協力し合う事が出来たのなら。
大海人皇子に大友皇子が仕える事が出来ていたなら、
どんな倭国(日本)になっていたのか?

哀しいかな、両雄並び立たず。
己の正当性をお互いに主張し合った末の顛末。

大友皇子の陵から見えるのは、山々と花そして鳥の声。


煌びやかな都とは違い、敗戦の果ての東下り。
しかも山間部にひっそりと暮らす元皇太子。
本人は何をしたかったのか?
もしかしたら、再起を図っていたのかも知れない。

正当な嫡流と時代の流れは相容れない時があり、そこに悲劇は生まれた。
今の私達はそこから何を読み解くのか?

《戦、乱、変》様々な事情があり激突する両者。
今でも続く争いの大元は昔から余り変わらないのかも知れない。
歴史的な事象をどの立ち位置で観るのか?

その事象は未来の人達の評価によって変わるもの。
それは現在でも変わらない事ですね。


*管理は側にある石雲寺さんが管理していて、石雲寺の境内にも石塔があります。
古代のロマンに浸ってみませんか?






2023.3.28 伊勢原 浄発願寺へ。

2023年03月30日 | 西湘探険隊
こんにちは、久美子です。
今日も観に来てくださって、
ありがとうございます😊

神奈川では桜🌸が真っ盛り❗️
週末も久々にお天気も良さそうですね。
週末のお花見🌸を検討されている方、
お勧めスポットでもありますよ😁

神奈川の伊勢原にある『浄発願寺』です。



伊勢原駅からバス🚌(日向薬師行き)終点から徒歩でも10分位。
車🚗なら多くはありませんが駐車場あります。
車でもかなり上ります。

観音様で有名な《日向薬師》さんですが、もっと上流。
山の中に有る古刹です。

開祖は、木喰(木の芽や草のみを食べながら、各地を遊行しながら修行をしていたお坊さん達)の弾誓(たんせい)上人により、開かれた天台宗、弾誓派の総本山。

徳川家康からの厚い庇護を受け、他にも佐竹氏や藤堂氏などからも厚い信仰を受けていたとの事。

元々は、もっと上流にあった本堂が災害に遭い、現在の場所に移されています。

また、このお寺は《駆け込み寺》としても有名です。
当時、《殺人》と《放火》を犯した者以外は、ここに駆け込むと助けられたとの事。
当時から何か犯罪を犯す人にも理由があるとの考えからかと思います。

一般的?なお寺というより、ちょっと印象が違う感じ。

こちらに伺うのは2度目。
前回は肌寒い雨の日でしたが、今回は桜に迎えられました。


ここから更に徒歩で10分ほど(車では約2分)上流に行くと、上発願寺の奥之院の入り口へ。
(駐車スペースは3〜4台分有り)

川を渡り、
閻魔堂跡地と山門の跡地へ。



廃仏毀釈の関係か?
頭部を落とされた石仏が並びます。
更に落とされた頭部に石が積まれていて、心穏やかではいられませんでした😅

かって、弾誓上人が修行をしたと言われる岩谷に向かいます。
当日は午前中が雨で午後からは雨が上がり、濡れた杉の葉などで滑りつつ、息を切らせながら登ります。

周囲は杉の木立、そばを流れる川と鳥の声に励まされながら、登りました。
(何度引き返そうと思った事か😅、不安に有る距離です)

ようやくたどり着いた53段の階段。

なんでも、第四世の空誉上人が江戸幕府から乞い受けた53人の罪人が、本堂に続く最後の53段の階段を作ったとの事。
(もちろん修復されています)
ここで、働きながら自分達の罪を悔い改めて、やがて全員が放免(許された)との事。

その途中にも、頭部を失った石仏や供養塔、参詣記念の塔などが所々並んでいます。
石仏の中には、大陸風の衣装にも見える物があったり、このお寺の存在意義は、もしかしたら、一般的なお寺とは違ったものだったんだろうと思います。

本堂跡地


必要最低限の手入れがされている様子で、
《木喰》の生活感が残っている様な気がしました。

今回、奥之院まで来た事で、感じたのは、
《間(はざま)》という感覚。
生と死、犯罪を犯す者と犯さない者、自然と人工的な物、現世と異界。
そんな全く違う様で、紙一重の《間》という印象を強く感じました。

紙一重なんだけれど、全く違う世界、価値観、がそこにあって、私達はどちらにも足を簡単に踏み入れる事が出来る。
『どちらを選ぶのかは?貴方次第です。』

そんな事を問われている様に感じた奥之院でした。

(運動不足のツケで翌日しっかり筋肉痛❗️
翌日に来ただけ良しとします😅)

上発願寺に来られた際は是非奥之院まで❗️

最後まで読んでくださって、ありがとうございました😊























2023.3.24 入生田 長興山 紹太寺 枝垂れ桜🌸

2023年03月28日 | 西湘探険隊
こんにちは、久美子です。
今日も観に来てくださって、
ありがとうございます😊
(いつもより長め🙇‍♀️)

雨が続く関東ですが、奇跡的に唯一晴れた24日に、りょうこさんと小田原の入生田にある《長興山 紹太寺》へ行って来ました。




初めましてのご挨拶🙇‍♀️

こちらは、大名《稲葉氏一族の菩提寺》

『稲葉氏』。
歴史的には、ちょこちょこみる名前です。
信長や秀吉の様な派手さはありませんが、ず〜〜〜っと目にする名前です。

父親は、江戸時代の小田原初代藩主。
で、この父親の母、いわゆる祖母が有名な『春日局』になり、実母が早くに亡くなった事から、その春日局に養育されたのが、二代目の藩主になる、『稲葉正則』さん。

三代将軍家光の乳母でもあった春日局の孫に当たる方。
その事もあり、幕府の中核として執務にも当たられていました。
(ネットで調べると、思った以上に優しいお顔つきで、ちょっとびっくり。)

この方が傾向していた、黄檗宗の名僧を招き開基したお寺の一つが、この《長興山 紹太寺》となります。

入生田駅から徒歩でも5分程度。
雲の間から覗く太陽が気持ち良かったです。

敷地はびっくりする程広くて、スニーカーで正解でした。

この時期は稲葉正則手植えと言われる樹齢約340年の枝垂れ桜🌸が有名との事。

先ずは、稲葉正則さんの祖母、春日局にご挨拶🙇‍♀️
と言っても、苔むした階段を軽く滑りながら上がります。
途中には季節の花も咲いていました。

マムシグサ?🐍

中々の昇り階段を上がり、ようやく到着。


稲葉正則さんの墓所と春日局の供養塔。
他にも、正室、側室、息子さんのお墓などありました。

ふと、振り返ると、大きく枝を伸ばす木があり、存在感たっぷり。

現在は木々に囲まれたとても静かな場所。

大奥を作った『春日局』。
そこから、江戸幕府は15代まで続く礎を基づいたのはこの大奥が大きな役割を担ったのは確かな事。
でも、多くの女性達が様々な思いを抱いたのも、大奥があったから。

政権が安定して長期に続いたから、大きな争いが起こらず、文化も発展して行った訳で。
どちらの視点から観るかによって、功罪は大きく変化して来ます。

裏切り者、石田三成の縁者として想像を絶する波瀾万丈の人生を送った《春日局》それを側で見ていた《稲葉正則》。

自分の視点から、相手の視点に変えてみる事で、物事の意味は変わるけれど、その時に感じた感情や思いはそこに留まっている。

その時の立場の中で何が出来るのか?
きっと問われている物はあるのだろう。

あの時出来なかった事が今なら出来る(かも知れない😅)

今の時代を見た、春日局はどう思うのか?
聴いてみたい気がする。

墓所を後にして、稲葉正則さんが手植えした枝垂れ桜🌸へ。



一枚目、高台から
二枚目、近影
三枚目、全体的に😊
この頃になると、日差しも強く熱いくらいでした。

桜の花びらがチラチラと風に散る光景は、雅そのもの。
ソメイヨシノよりも淡く、小さい花弁が風に流されて行きます。

高台にはまだ若い枝垂れ桜🌸もあり、
こちらは花盛りでした。




ケルトのトリスケレでは無いものの、それぞれの年代の美しさがありますね。


また違う品種。
みんな違って、みんな良い😁

桜🌸を堪能した午前中でした。














お久しぶり❗️お元気ですか?

2023年02月16日 | 西湘探険隊
こんにちは、久美子です。
今日も観に来てくださって、
ありがとうございます😊

生存確認が必要なほど空いてしまいました🙏
私は元気なのですが、家族がバタバタしていて、ブログにまで手が出せませんでした🙇‍♀️

もし良かったら、また観に来てやってくださいませ🙇‍♀️

さて、大河ドラマの『どうする家康』!
実は地元の平塚(神奈川県)も家康様との縁の土地でもあります。



関東へ移って来た当初より、趣味の鷹狩りなどの為に市内に中原御殿と言う御殿を建てて、度々来られていたとの事。
そして、平塚でもイベントが開催されたので行って来ました。

そもそも東海道五拾三次の中の一つの宿場町であった《平塚》ですが、隣の宿場町の《大磯》と3キロ程しか離れておらず、“何故ここに宿場町を造る事になったのか?”は長年の疑問の一つでした。

今回のイベントで平塚博物館の学芸員の先生のお話を聞いて、眼から鱗❗️
その視点では考えた事は無かった情報をいただきました🙏
有難い事です、、

様々な情報もいただき、今後のイベントへ繋げて行きたいと思います。




2022.1.26 湘南平塚 七福神巡り

2022年01月26日 | 西湘探険隊
お久しぶりです。久美子です。
お元気でしたか?
色々とバタバタしておりまして、久々の更新となります。

観に来てくださって、ありがとうございます🙇‍♀️

2022.1.26は一粒万倍日た大安が重なった良き日に開催されました。
《湘南平塚 七福神巡り》にご参加くださり、
ありがとうございました🙇‍♀️




降雪の予報もありましたが、天気も良くなり車の中は暖かい位でした。

八幡様では太鼓の音でお迎えを受けて、行く先々でお話を聴かせていただいたり、手厚いおもてなしを頂きありがとうございました🙇‍♀️

平塚の七福神は庶民に密着した神社やお寺さんです。

一年中七福神巡りは開催されているので、ご興味のある方は、お声掛けください🤗

ご参加ありがとうございました😊