昨日に引き続き観光ボランテイアガイドで案内をしましたが、この地区では三歩太郎伝説の説明が欠かせません。
ガイドの締めくくりは三歩太郎のからくり時計でした。
三穂(歩)太郎伝説
菅原朝臣満佐(みつすけ)は菅原道真公より13代後の末裔にあたり、知仁勇に優れていましたが、
1234年9月15日に赤松久範と佐用で戦い、52才で討死しました。
死後、頭(こうべ)は関本の三穂明神(こうべさま)、右手は梶並の右手(うて)大明神、
肩の部分は智頭のにゃくいちさまとして祀られ美作菅家党の基板を創りました。
満佐公は別名三穂太郎とも呼ばれていますが歴史上の実在人物です。
巨人伝説として 「那岐山の頂上に腰をかけ、瀬戸内海で足を洗い、京の都まで三歩で行った」と言う伝説も残っております。