「ブルバキ―数学者達の秘密結社:モーリス マシャル」
ブルバキとは「数学原論: ニコラ・ブルバキ (Nicolas Bourbaki)」の記事で紹介したように、1930年代にフランスの若き数学者たちによって結成された伝説的数学者集団のペンネームである。本書では秘密のベールに包まれてきたブルバキを、貴重な写真資料とともに紹介している一般読者向けの本だ。
原書はフランス語で、著者のモーリス・マシャル(Maurice Mashaal)は1957年生まれ。1988年にエコール・ポリテクニクの理論物理学センターで素粒子理論物理学の分野で博士号を取得。その後1990年までエコール・ノルマル・シュペリユールでポスドクとなる。1990年より1997年まで科学ジャーナリスト・編集者として、フランスの月刊科学雑誌 La Recherche で物理・数学部門の責任者となる。1997年よりフリーのジャーナリスト・編集者として、数学・物理学を一般の人々に広めるため、執筆・編集・翻訳で活躍している。
訳者は高橋礼司先生。複素解析や線型代数の教科書の執筆者として知られている。ご専門は群の表現論ということだ。東京大学教養学部教授、ナンシー大学理学部教授、上智大学理工学部教授、放送大学教授を経て1998年に定年退職されてから、本書を訳された高橋先生は原書著者のモーリス・マシャルとは面識がないそうだが、ブルバキの創成期のメンバーのデルサルト、セール、ゴドマン、カルタン、シュヴァレー、デュドネなどと面識があったので、ブルバキについてメンバーから直接話を聞いていらっしゃったのだ。訳者としてまさに適任といえよう。
ブルバキが結成されたいきさつから始まり、どのような集団でどのようなプロセスを経て「数学原論」を執筆していったか、「数学原論」の構成と各巻の内容、そしてフランスや世界の数学界に与えた影響、当時から現在まで続いているブルバキセミナーのこと、ブルバキがどうして衰退し数学原論の出版が止まってしまったかなどがこと細かに書かれている。また、各章にはブルバキに参加していたメンバーの経歴や人物像が紹介されている。
「数学原論: ニコラ・ブルバキ (Nicolas Bourbaki)」の記事では良い面しか紹介しなかったが、数学原論は好ましくない面もあったということがよく理解できた。その代表的な例が1960~1970年代にフランスや世界でおきた教育改革、数学教育の「現代数学化」なのだ。抽象的で非常に厳密な数学原論の記述スタイルが、中学や高校の教科書に採用され、図版がまったくないきわめて難解な教科書となってしまったのだ。それは教師さえも理解できないほどだった。しかし、ブルバキ自身はこの教育改革には加担していなかった。数学原論の影響力がきわめて強かったからというのが実際のところなのだ。
数学原論の執筆の内容を決めるために行われた「コングレ」という集いは、年に数回行われた。これは僕の想像していたものとは全く異なり、バカンスのように避暑地に集まり、屋外のロッキングチェアーでくつろぎながら、原稿をチェックしたり議論したりしていたようだ。自由にそして容赦なく、ときに辛辣に議論を戦わせながら内容を決めていくので、最終案がまとまるまでとても時間がかかるやり方だ。
本書の第4章では、以下のような各巻の内容が一般読者でも理解できるように説明されている。実際に学ばないとしても一般常識(?)として、これらがどのようなものであるのかを知りたい読者もいると思う。
* 集合論
* 代数学
* 位相
* 実一変数関数
* 位相線型空間
* 積分
* 可換代数
* リー群とリー環
* 微分可能多様体と解析的多様体
* スペクトル論
また第5章、第6章では
* 群の構造
* 環とイデアルの構造
* 体の構造
* 順序構造
* 距離の公理
* 位相空間、開集合と近傍
* フィルターの公理
その他、1931年に発表された「ゲーデルの不完全性定理」や数学基礎論、応用数学などについてブルバキがどう捉えていたかということも本書の中で明らかにされる。次のような目次を見れば察しがつくことだろう。
- ブルバキの選択 - 論理もなし、応用数学もなし
- ブルバキは基礎論に興味がない
定価が2500円と高めなのは多色刷りであるためだ。上記の説明も色分けされたグラフや図版が使われている。
数学原論に挑戦しようと思っている方は、前もって読んだほうがよい本である。ブルバキの生の姿を知りたいと思っている方、数学とは結局何なのだろう?ということを思い続けている方にお勧めな一冊だ。
関連記事:
数学原論: ニコラ・ブルバキ (Nicolas Bourbaki)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/fd922f0b1d9f25ce7162704e2dacdee4
数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f9b0b9264e35a680ce974fcbf17c62c0
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「ブルバキ―数学者達の秘密結社:モーリス マシャル」
目次
第1章:グループがつくられる
- ブルバキの育ちの園、エコール・ノルマル・シュペリユール
- 初めは控え目な計画が、次第にファラオ的になる
- 田園の集まり
- 実験台モルモットは将来性を示さなければならない
- 50歳で定年
- 偉大な才能と優れた頭脳
* ニコラ・ブルバキ協力者の会
* ジャン・デルサルト(1903-1968)
第2章:名前にまつわる伝説
* 本物のブルバキ将軍(1816-1897)
- 学生の茶番劇かそれとも文学的なほのめかしか?
- エリ・カルタンが一風変わった数学者の名づけ親となる
- 未知の先祖の出現
- ニコラ・ブルバキの略歴
* 「ブルバキの略歴と業績」
* アンドレ・ヴェイユ(1906-1998)
第3章:若者と大御所
- ルネサンス -- 西欧数学の復興
- 19世紀に厳密に、そして抽象的になる
- 1900年代の導き手ポアンカレとヒルベルト
- ほとんど師を持たない見習い数学者
- 『解析教程』打倒、『現代数学』万歳!
* 1937年の「メダルの戦い」
第4章:『数学原論』
- 10部門、60以上の章
- 発行者フレイマンの加担
- ブルバキは「一般から特殊へ」と記述する
- 新しい用語、新しい記号
- ブルバキの対象は誰?
* 1.デュドネが語るブルバキの執筆法
* 2.集合論
* 3.代数学
* 4.位相
* 5.実一変数関数
* 6.位相線型空間
* 7.積分
* 8.可換代数
* 9.リー群とリー環
* 10.微分可能多様体と解析的多様体
* 11.スペクトル論
* ジャン・デュドネ(1906-1992)
第5章:公理的方法と構造を目指して
- ヒルベルト流の公理的方法
- 構造の3つの型
- ダチョウをまねるとき
- カテゴリー対ブルバキ型の構造
* ブルバキからウリポ、ピアジェ、そしてレヴィ=・ストロースへ
* 1.群の構造
* 2.環とイデアルの構造
* 3.体の構造
* 4.順序構造
第6章:ブルバキの断片:フィルター
* 1.距離の公理
* 2.位相空間、開集合と近傍
* 3.フィルターの公理
* アンリ・カルタン(1904年生まれ)
第7章:セミネール・ブルバキ
- セミネールの儀式
- 864の講演、1万ページの講究録
- 専門家しすぎているという者もいる
* セミネール・ブルバキの先駆者:「セミネール・アダマール」と「セミネール・ジュリア」
第8章:繊細にして謹厳な学生達
- 言葉の重み、酒樽の衝撃
- ブルバキは自発的な難読症?
- 自分自身にも不遜な
- ブルバキ嬢の結婚、そしてブルバキの逝去
第9章:『人間精神の名誉』
- ブルバキの選択 - 論理もなし、応用数学もなし
- ブルバキは基礎論に興味がない
- 常に一般化を追い求める超公理化達?
- ブルバキは解析学を代数化した
* ブルバキは数学での権力者であったか?
* 測度、積分と確率
* クロード・シュヴァレー(1909-1984)
第10章:学校教育での「現代数学」
- ブルバキが高等教育を制覇する
- ブルバキがポリテクニクに入る
- 至るところに数学を見た
- デュドネが「打倒ユークリッド!」と叫ぶとき
- 革命の後に反革命が
- ブルバキは用心深く
第11章:不死の数学者?
- 数学の情景は変わった
- 時間の不足か熱意の不足か?
- 「彼の仕事は終わっている、しかも見事に終わっている・・・」
- 数学は上に統一され、下にではない
参考文献
図版の出展
訳者あとがき
人名索引
ブルバキとは「数学原論: ニコラ・ブルバキ (Nicolas Bourbaki)」の記事で紹介したように、1930年代にフランスの若き数学者たちによって結成された伝説的数学者集団のペンネームである。本書では秘密のベールに包まれてきたブルバキを、貴重な写真資料とともに紹介している一般読者向けの本だ。
原書はフランス語で、著者のモーリス・マシャル(Maurice Mashaal)は1957年生まれ。1988年にエコール・ポリテクニクの理論物理学センターで素粒子理論物理学の分野で博士号を取得。その後1990年までエコール・ノルマル・シュペリユールでポスドクとなる。1990年より1997年まで科学ジャーナリスト・編集者として、フランスの月刊科学雑誌 La Recherche で物理・数学部門の責任者となる。1997年よりフリーのジャーナリスト・編集者として、数学・物理学を一般の人々に広めるため、執筆・編集・翻訳で活躍している。
訳者は高橋礼司先生。複素解析や線型代数の教科書の執筆者として知られている。ご専門は群の表現論ということだ。東京大学教養学部教授、ナンシー大学理学部教授、上智大学理工学部教授、放送大学教授を経て1998年に定年退職されてから、本書を訳された高橋先生は原書著者のモーリス・マシャルとは面識がないそうだが、ブルバキの創成期のメンバーのデルサルト、セール、ゴドマン、カルタン、シュヴァレー、デュドネなどと面識があったので、ブルバキについてメンバーから直接話を聞いていらっしゃったのだ。訳者としてまさに適任といえよう。
ブルバキが結成されたいきさつから始まり、どのような集団でどのようなプロセスを経て「数学原論」を執筆していったか、「数学原論」の構成と各巻の内容、そしてフランスや世界の数学界に与えた影響、当時から現在まで続いているブルバキセミナーのこと、ブルバキがどうして衰退し数学原論の出版が止まってしまったかなどがこと細かに書かれている。また、各章にはブルバキに参加していたメンバーの経歴や人物像が紹介されている。
「数学原論: ニコラ・ブルバキ (Nicolas Bourbaki)」の記事では良い面しか紹介しなかったが、数学原論は好ましくない面もあったということがよく理解できた。その代表的な例が1960~1970年代にフランスや世界でおきた教育改革、数学教育の「現代数学化」なのだ。抽象的で非常に厳密な数学原論の記述スタイルが、中学や高校の教科書に採用され、図版がまったくないきわめて難解な教科書となってしまったのだ。それは教師さえも理解できないほどだった。しかし、ブルバキ自身はこの教育改革には加担していなかった。数学原論の影響力がきわめて強かったからというのが実際のところなのだ。
数学原論の執筆の内容を決めるために行われた「コングレ」という集いは、年に数回行われた。これは僕の想像していたものとは全く異なり、バカンスのように避暑地に集まり、屋外のロッキングチェアーでくつろぎながら、原稿をチェックしたり議論したりしていたようだ。自由にそして容赦なく、ときに辛辣に議論を戦わせながら内容を決めていくので、最終案がまとまるまでとても時間がかかるやり方だ。
本書の第4章では、以下のような各巻の内容が一般読者でも理解できるように説明されている。実際に学ばないとしても一般常識(?)として、これらがどのようなものであるのかを知りたい読者もいると思う。
* 集合論
* 代数学
* 位相
* 実一変数関数
* 位相線型空間
* 積分
* 可換代数
* リー群とリー環
* 微分可能多様体と解析的多様体
* スペクトル論
また第5章、第6章では
* 群の構造
* 環とイデアルの構造
* 体の構造
* 順序構造
* 距離の公理
* 位相空間、開集合と近傍
* フィルターの公理
その他、1931年に発表された「ゲーデルの不完全性定理」や数学基礎論、応用数学などについてブルバキがどう捉えていたかということも本書の中で明らかにされる。次のような目次を見れば察しがつくことだろう。
- ブルバキの選択 - 論理もなし、応用数学もなし
- ブルバキは基礎論に興味がない
定価が2500円と高めなのは多色刷りであるためだ。上記の説明も色分けされたグラフや図版が使われている。
数学原論に挑戦しようと思っている方は、前もって読んだほうがよい本である。ブルバキの生の姿を知りたいと思っている方、数学とは結局何なのだろう?ということを思い続けている方にお勧めな一冊だ。
関連記事:
数学原論: ニコラ・ブルバキ (Nicolas Bourbaki)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/fd922f0b1d9f25ce7162704e2dacdee4
数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩
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「ブルバキ―数学者達の秘密結社:モーリス マシャル」
目次
第1章:グループがつくられる
- ブルバキの育ちの園、エコール・ノルマル・シュペリユール
- 初めは控え目な計画が、次第にファラオ的になる
- 田園の集まり
- 実験台モルモットは将来性を示さなければならない
- 50歳で定年
- 偉大な才能と優れた頭脳
* ニコラ・ブルバキ協力者の会
* ジャン・デルサルト(1903-1968)
第2章:名前にまつわる伝説
* 本物のブルバキ将軍(1816-1897)
- 学生の茶番劇かそれとも文学的なほのめかしか?
- エリ・カルタンが一風変わった数学者の名づけ親となる
- 未知の先祖の出現
- ニコラ・ブルバキの略歴
* 「ブルバキの略歴と業績」
* アンドレ・ヴェイユ(1906-1998)
第3章:若者と大御所
- ルネサンス -- 西欧数学の復興
- 19世紀に厳密に、そして抽象的になる
- 1900年代の導き手ポアンカレとヒルベルト
- ほとんど師を持たない見習い数学者
- 『解析教程』打倒、『現代数学』万歳!
* 1937年の「メダルの戦い」
第4章:『数学原論』
- 10部門、60以上の章
- 発行者フレイマンの加担
- ブルバキは「一般から特殊へ」と記述する
- 新しい用語、新しい記号
- ブルバキの対象は誰?
* 1.デュドネが語るブルバキの執筆法
* 2.集合論
* 3.代数学
* 4.位相
* 5.実一変数関数
* 6.位相線型空間
* 7.積分
* 8.可換代数
* 9.リー群とリー環
* 10.微分可能多様体と解析的多様体
* 11.スペクトル論
* ジャン・デュドネ(1906-1992)
第5章:公理的方法と構造を目指して
- ヒルベルト流の公理的方法
- 構造の3つの型
- ダチョウをまねるとき
- カテゴリー対ブルバキ型の構造
* ブルバキからウリポ、ピアジェ、そしてレヴィ=・ストロースへ
* 1.群の構造
* 2.環とイデアルの構造
* 3.体の構造
* 4.順序構造
第6章:ブルバキの断片:フィルター
* 1.距離の公理
* 2.位相空間、開集合と近傍
* 3.フィルターの公理
* アンリ・カルタン(1904年生まれ)
第7章:セミネール・ブルバキ
- セミネールの儀式
- 864の講演、1万ページの講究録
- 専門家しすぎているという者もいる
* セミネール・ブルバキの先駆者:「セミネール・アダマール」と「セミネール・ジュリア」
第8章:繊細にして謹厳な学生達
- 言葉の重み、酒樽の衝撃
- ブルバキは自発的な難読症?
- 自分自身にも不遜な
- ブルバキ嬢の結婚、そしてブルバキの逝去
第9章:『人間精神の名誉』
- ブルバキの選択 - 論理もなし、応用数学もなし
- ブルバキは基礎論に興味がない
- 常に一般化を追い求める超公理化達?
- ブルバキは解析学を代数化した
* ブルバキは数学での権力者であったか?
* 測度、積分と確率
* クロード・シュヴァレー(1909-1984)
第10章:学校教育での「現代数学」
- ブルバキが高等教育を制覇する
- ブルバキがポリテクニクに入る
- 至るところに数学を見た
- デュドネが「打倒ユークリッド!」と叫ぶとき
- 革命の後に反革命が
- ブルバキは用心深く
第11章:不死の数学者?
- 数学の情景は変わった
- 時間の不足か熱意の不足か?
- 「彼の仕事は終わっている、しかも見事に終わっている・・・」
- 数学は上に統一され、下にではない
参考文献
図版の出展
訳者あとがき
人名索引
スパっと一直線の統一的記述は見事だけど、なにしろ直感につなげる手がかりが無い。
直感で把握する大局観が無いと、行き先目標の見当がつかない。
というわけで、既に分かってることを整理する方法にすぎないと理解した。
あと、基礎論に興味がないというよりも統一的記述でまとめるブルバキ流は、同じ論理を別の記述で再解釈して結果を得る基礎論の手法と合わないんじゃないかな。
学習や推量にははどうしても直観力が必要です。
ゲーデルの不完全性定理のことは、ブルバキは全く知らなかったか、知っていたとしても無視していたとこの本には書いてありました。
基礎論との相性については僕は数学原論を読み込んでいないのでなんとも言えませんが、hirotaさんのおっしゃっているとおりなのかもしれませんね。