あるクリスチャン理学療法士の思いつき日記

クリスチャン理学療法士の私
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危険の予兆 安保法案通過

2015年07月16日 | 気になるニュース
アベノミクスや消費税増税の是非を問うて、
(別に是非も何もない、当たり前のこと、将来を考えれば仕方ないこと)
実際はここか・・・、秘密保護法案と抱き合わせで一本をとる。
政府の中枢だけが情報を持ち、秘密裏に決定して国民をコントロールする。

やっぱりな、がっかりだな、そして怒りしか覚えません。
総選挙をやるなら今でしょ。前回じゃなく。
国民投票にすべきでしょ。憲法改正として。

改悪かどうか関係なく自分を通す安部の強引さと、
弁護士として悪人を弁護するような法律の抜け目をつく高村と、
取り巻き連中。

高村は論理がなっていないことに気づいていないなら末期症状ですね。
(分かっていて屁理屈を通そうとしているなら、悪い人ですね。)

ほんとうに危ないですね…。
安部、高村帝国か・・・ここは。と怒りでTVも見たくありません。

国民を信頼していないのに、「国民を信頼している」と言う安部、
「賢い人なら分かりますよね」と。
自分を賢くないと言われたくないから、
分からなくても「分かりました」と言ってしまうような愚かな国民なのでしょうか??
裸の王様じゃないですよ。

分からない論理だから、論理になっていないから分からないのです。
屁理屈を言う人とは、国民は永久に同じ土俵には立てないのです。

「人に親切にするべきである」は法律になりますか?
完全な法律にしようとしても、決してなりません。
でも、親切にはするべきです。
これを「法律になる」という人と、「ならない」という人は同じ土俵には立てないでしょう。
「法律になる」という人は、親切とはどのような場合を指すか延々と定義づけし続けるでしょう。
「この場合は親切か?」「それともお節介か?」
これを定義づけし続けようとしても、終わりません。

はっきりとここからここまでと判決で言っていない(自衛の定義)ことなら、
こう解釈してもいいじゃないか、高村の論理です。
親切と言ったら、人間の常識範囲で判断すべきことです。
屁理屈で、これも何とか親切と言える、というものではありません。
強盗だって、悪い人を襲えば親切の範囲になれるかもしれません。

それにしても「感じ悪いよね、自民党」のプラカードはレベル低いです・・・・。