検算、という名前が出てくるのは中1の方程式からです。
でも、その前から引き算をたし算で確認するとか、分数の式を( )の中だけ確認してから進むとか、検算という名前はついていなくても正しいかどうかを気にする方法はあります。
検算は便利ですが、やり方を学んだばかりの子が検算をすると、答はあっているのに検算の方を間違えて、迷路に入ってしまう事があります。あまりにも検算を嫌がる子がいたので、昔、公文の教室を始めたばかりの時、私がくもんの師匠だ
と思っている方に、
「間違うくらいなら、検算はしないでも良いのでは・・・?」と質問したことがあります。
「人生の要所要所で検算をしながら生きていける子にしたいでしょう?」との返事に、なるほど、と思ったのを思い出します。
検算だけでなく、教材を100点にするまでにはいろんなプロセスがあります。どこまで自分で考えるか、前の問題との違いに気が付けるか、自分が書いた式が読める字で書いてあるか(利用できるか)。
子どもの解き方は様々で、甘えた子は甘えたように、不注意な子は不注意なように解きます。でも、根気よく教材への向き合い方を指導していくと、どの子も少しずつ変わっていきます。
賢い子は例外なく、頭の使い方が大人っぽいのです。
教材は100点になればそれでいいのでなく、その過程で頭の使い方を変えていくためのツールでもあります。学年を超えた教材を解いてくと、それなりに精神的な賢さが鍛えられます。
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