表題のような、問に、アメリカの著名な映画監督 ”老いも、若きも、これから始まる人生こそ、美しい” と。
さあ、100歳まで、自信をもって、元気で、明るく、”美しい人生” にしましょう。(たくさんの友と共に)
表題のような、問に、アメリカの著名な映画監督 ”老いも、若きも、これから始まる人生こそ、美しい” と。
さあ、100歳まで、自信をもって、元気で、明るく、”美しい人生” にしましょう。(たくさんの友と共に)
2番センター 大山勝也 君。昭和33年、第30回選抜高校野球大会の、 我が坂商の大山君です。
さかのぼって、9番ライト 大山 勝 君。(昭和7年、第9回全国選抜中等学校野球大会の出場)。第30回大会出場の、大山勝也 君の父上です。当時2年生で、監督は三木忠章先生でした。
同期の勝也君は、丸亀東中ではバレーの選手でした。
運動神経は抜群で、当時の岩田監督の英才教育を受け、甲子園でのレギュラーの位置をつかむまでになりました。
惜しくも、神戸淡路大震災の年に亡くなってしまいました。佐久間捷之 君と共に、生涯、忘れられない、心友です。
坂出市民体育祭(校区対抗だったか)での、表彰式の写真です。この大会で(中学の部で)100m、200m、と
400mリレーで、優勝したと思います。
(と言うことは、坂出市で、100、200mで、一番早いと言うことになります。)
大変、大昔の話しですが、大変、輝いていました。
1980年頃から、現在まで、すぐ近くに事務所があります。よく、試合を見にいきました。
子供の頃は、南海ファン、怪童 中西 太 が出てきてからは、西鉄ファン でした。
跡地の、なんばパークス には、時々食事に出かけます。
(現在の、住宅展示場は、少し離れた、所にあります。)