今日は四月一日だ。だから嘘を書いて良い。これは嘘だ。そうでなくてはならないはずだ。
1年半前、私は大切なものを失った。私にとって唯一の大切なものだった。
私は子どもの頃から親とは住んでない。そんな私に大切なものは一つだけだった。それはもう一生手に入れることはできない。今まではそれでもいくらか触ることができた。今はもう無理。これからは絶対無理になった。
16年前、同じように大切なものを失った。それももう二度と触れない。手を触れることができない。
その時は悲しかったと思う。
♪~いつかは君のこと 何も感じなくなるのかな
今の痛み抱いて 眠る方がまだいいかな~♬
あの歌詞を聴いたときにドキリとしたが、今はもう何も感じなくなった。忘れることは悲しいけど、自分のためには良いことなのだと言い聞かせた。
今考えてみたら、あのつらかった出来事のおかげで今があるのかと思う。
悲しみと引き換えで私は助かったのかも知れない。
今までも多くの選択があった。選択をミスしてかなしんだことも多かった。
でも後で考えて、あれで良かったのかなと思う自分もいる。
神様、なのかご先祖様なのか、分からないけど、私に道を教えてくれ、その道に進んだら、その時はどんなに後悔しても、後で振り返ったら「あれで良かった。あれしかなかった。あのおかげで今がある。」そう思える。
だから今回の悲しみも、きっと後で「あのおかげ」と思えるに違いない。そう思わなけりゃ生きていけない。
人生は罰なのか。地球で生きることは流刑地なのか。
今私は生きているのではない。死んでないだけだ。
四月一日です。だから嘘です。
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