倉敷三昧

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四月一日の嘘

2022-04-01 03:53:05 | 日記

今日は四月一日だ。だから嘘を書いて良い。これは嘘だ。そうでなくてはならないはずだ。

1年半前、私は大切なものを失った。私にとって唯一の大切なものだった。

私は子どもの頃から親とは住んでない。そんな私に大切なものは一つだけだった。それはもう一生手に入れることはできない。今まではそれでもいくらか触ることができた。今はもう無理。これからは絶対無理になった。

16年前、同じように大切なものを失った。それももう二度と触れない。手を触れることができない。

その時は悲しかったと思う。

♪~いつかは君のこと 何も感じなくなるのかな

今の痛み抱いて 眠る方がまだいいかな~♬

あの歌詞を聴いたときにドキリとしたが、今はもう何も感じなくなった。忘れることは悲しいけど、自分のためには良いことなのだと言い聞かせた。

今考えてみたら、あのつらかった出来事のおかげで今があるのかと思う。

悲しみと引き換えで私は助かったのかも知れない。

今までも多くの選択があった。選択をミスしてかなしんだことも多かった。

でも後で考えて、あれで良かったのかなと思う自分もいる。

神様、なのかご先祖様なのか、分からないけど、私に道を教えてくれ、その道に進んだら、その時はどんなに後悔しても、後で振り返ったら「あれで良かった。あれしかなかった。あのおかげで今がある。」そう思える。

だから今回の悲しみも、きっと後で「あのおかげ」と思えるに違いない。そう思わなけりゃ生きていけない。

人生は罰なのか。地球で生きることは流刑地なのか。

今私は生きているのではない。死んでないだけだ。

四月一日です。だから嘘です。



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