1990年代パチンコ・パチスロ実戦記「バラのつぼみ」

私が学生時代に書き留めていたパチンコ・パチスロの実戦データをベースに当時を懐かしむブログにしようと思っています。

硫黄島渡島

2024-02-04 17:26:14 | 硫黄島

 私が初めて硫黄島の事を知ったのは小学校4年生の頃(昭和58年)祖父に買ってもらった「ゼロ戦」(講談社)という本に硫黄島が出てきたからだ。この本は「大空のサムライ/坂井三郎著」を児童向けに再編集したもので小学生にも読みやすいものだった。(それがとんでもない罠だった事に気づくのは大人になった頃だったが・・・*1)小学2年の時に「日本連合艦隊」というジャガーバックスのムック本を祖父に買い与えられ夢中になって読んだ私にはこの本も堪らない本だった。当時は本もそれはど簡単に買ってもらえる物ではなく擦り切れる勢いで読んだものだ。肝心の本の内容は物語の終盤に著者も戦った硫黄島防空戦(昭和19年6月頃)の事が書いてあり硫黄島の島での暮らしぶりも多少ふれてあった。当時それを読んだ私は戦争末期の戦いが行われた島はどんなところだろうかと関心をもった。その後ミリタリーマニアとして順調に成長し硫黄島に関することも多く知った後、平成18年(2006年)映画「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」が公開される。特に硫黄島からの手紙は大ヒットし上映に合わせ関連書物もたくさん発売され、硫黄島の戦いのTVドキュメンタリーも多数放送された。硫黄島に関する戦記を複数読み、TVドキュメンタリーを見ると益々硫黄島に是非行ってみたい、日本軍による必死の戦いが行われたこの島に是非行ってみたいと思いは募るばかりだった。

 しかし硫黄島に行きたいと言っても硫黄島は民間人が立ち入れないと思われいる島だ。行く方法として、まず最初に思い浮かんだのは島での遺骨収集だがどこで人員を集めているかわからなく頓挫(仮に情報を見つけても遺骨収集による渡島は相当ハードルが高いらしい)、慰霊目的での政府行事参加で渡島したくても硫黄島で戦死している親戚はいない(祖父(実の祖父)は陸軍航空情報兵で沖縄へ行く途中に乗っていた輸送船が潜水艦の雷撃を受けて戦死)、島での工事を担当している会社の長期アルバイトに応募すれば民間人でもいけるという所までは見つけたものの、今の仕事をなげうって行くのは現実的ではない・・・自衛隊の関連団体に入れば視察でいけるんじゃないだろうか?と言われたので信じて入会、せっせと活動をするも行けそうな気配がなく良ーく調らべてみればそんなわけもなくガセネタということがわかったり・・・10年以上悶々として過ごす。そんな日々を送っていたが風向きが変わったのは今から約2年前の2021年年末の頃だった。

 2021年の年末、youtubeで硫黄島に関する動画を何本も見ていたら、たまたま「アルバイトで行ける硫黄島への行き方」という動画がオススメ動画にピックアップされてきた、動画を見るとNLP(米海軍艦載機夜間離発着訓練)に関する自衛隊食堂のアルバイトがあり、しかも2~4週間という比較的短期間で渡島が可能との事だった。これは超有力情報!真っ暗闇に光が差した瞬間だ。さっそく動画を作った方に連絡をとると良い方で早速詳細を教えてもらう。毎年5月にバイトがあり3月に一般的な求人サイトに求人が出るという事、島内の交通手段が徒歩しかないことを教えてもらう。分かってしまえばあっけない何故「硫黄島 アルバイト」というキーワードで検索しなかったんだろう・・・悔やんでもしょうがないので早速検索すると実際にアルバイトを経験した方の情報が次々に見つかりそれぞれを貪り読んだ。アルバイトには食堂勤務と清掃作業があり食堂班は3交代制で初心者は日中が勤務時間の2直という時間帯になるらしい、できれば早朝勤務の1直の方が島内を巡る時間が多くとれていいが雇用元で決めることで私には選択権のないことであった。また清掃班は日中はほぼ仕事の為あまり望ましくない・・・ネットの情報は食堂班の情報がほとんどだったため様子がわかる食堂班勤務にしようとなんとなく決めた。

 そして3月になり毎日硫黄島のキーワードでバイトを検索するも食堂勤務1年位の長期アルバイトは求人があるが短期は全く引っかからずついに5月を迎える、いったい求人なんてあるのか?と訝しげに思っていると新たに8月中旬のJC(青年会議所)のよる硫黄島渡島事業を発見する。しかしこちらは全日程僅か1日で島をあるていど長期間巡れるバイトの方が魅力的だったため応募を見送る(結局これもフタを開けてみると年齢制限で応募出来なかった。若い方は応募するのもいいかも)。さらにしつこくもバイトの方は募集の検索を続けた。そうこうしていると夏の終わり8月末に全く期待しないで求人サイトをみると、なななんと短期の求人が出ているではないか、しかも気が付いたのはちょうど締切日・・・の夜、ぎりぎりアウト!!それでも諦めが悪いので翌日求人元に電話をすると「求人は締切りました」とのことだったが、私がしつこくも来年春に求人がある場合は連絡くださいと言うと、確約は出来ないが求人がある場合は連絡するといって下さった。はーと。その後は電話が来るのを待つのみ、、、島内での交通が己の足のみであるので足を鍛えるべくウォーキングを始める、毎日4~5Km、時間に余裕のある日は10km程度ウォーキングを行った。結果このウォーキングは島内でとても役にたった。そして忘れてならないのは職場の許可と家族の許可である。職場の許可はほぼ自営業なので問題なし(問題ないのか・・・?)、妻には子供の頃から憧れていたと夢をかたり、何度もお願いすると許してくれた・・・神、まさに私にはそう見えました。またyoutube動画の方が島内での宿舎は2人部屋なので友人といくと同じ部屋になって楽ですよと言われ、一緒に行ってくれる友人を探すがなかなか3週間休んで島にいってくれる友人は見つからない。そうしているうちに正月は過ぎインターネットで鹿児島県の馬毛島の自衛隊基地の工事が順調に進んでおりNLPの受け入れが2025年にも可能とのニュースを目にする、とすると硫黄島でNLPが行われるは2023年と2024年の2回で終了の可能性がありますます気が焦る。季節は春になり今年も求人がないのかと気は焦る、3月半ばついに求人元に今年の求人はまだかと問い合わせをしてしまった。すると今年のアルバイトがあるどうかは(米軍の訓練があるかどうか)まだ未確定で確定すれば求人をだすかもということだった。求人元はお堅い組織だったのでここまで話すという事は多分アルバイトはあるなと感じ少し気が楽になる。でも電話があるかどうかはわからない。

 求人サイトを何度もリロードを繰り返す日々を送って約1週間後3月下旬についに先方から電話がかかってきた!!本当に震える手で電話にでると5月上旬から下旬にかけてアルバイトがあるので日程・給与は後ほど連絡をするから履歴書を送って欲しいとのことだった。電話口で何度も御礼を言って電話を切る、ついに俺は硫黄島への切符を手にいれた、小4の時に坂井三郎氏の本を読んでその存在を知り2006年から特に憧れが強くなり悶々として過ごす日々だったがついに硫黄島に行けることになったのだ。

*1ゼロ戦(講談社)は大空のサムライを児童向けに再編集した本だったが、当時(1970~80年代頃)の時代の空気を反映してか大空のサムライにはしっかりと書いてある努力することの素晴らしさ、特に国のために努力すること素晴らしさの記述がごっそり抜け、上官へ反抗する話、原住民の家畜を盗んで食う話(オモシロおかしい)といった反軍的なエピソードが追加してあった。この本でなく元の大空のサムライを読んでいたらもっと努力する人間になってたろうにな~違うか。

つづく(更新は1か月後位かも)



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2 コメント

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Unknown (クリクリ)
2024-02-26 18:54:08
コメントありがとうございます。お名前からするとパチンコ日記を読んでくだっさている方とお見受けします。突然全く関係ないブログを書き出してしまい恐縮です。

妻には硫黄島から帰ったのちの闘病生活でも献身的に世話をしてくれ本当にありがたいです。僕なんかがこんな妻と結婚できたのはゴリコップの11から一発で天国に上がるくらい薄い線を引いたおかげと思います。
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Unknown (ゴリコップ)
2024-02-26 16:47:49
長年の夢とはいえ、普通なら「何言ってんの?」と半笑いで却下案件にされそうなところ、許可をくださった奥様はほんとにすごいですね。
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