1990年代パチンコ・パチスロ実戦記「バラのつぼみ」

私が学生時代に書き留めていたパチンコ・パチスロの実戦データをベースに当時を懐かしむブログにしようと思っています。

硫黄島渡島 その6

2024-05-20 11:38:23 | 硫黄島

島の北西部、西部、中心部(元山部落周辺、船見台周辺)の記録、宿舎を出発し島の外周道路を北上または滑走路東端の道路を歩き天山慰霊碑を過ぎたあたりで外周道路と合流するとすぐ栗林兵団本部壕がある、ここで道なりにぐるっと西方向に向かうと医務課壕跡がある、ここの壕は担架を運んだまま出入りできるよう壕が広いため慰霊団や政治家の方が来た際に良く見学される、壕が広いのと発電機とライトが常備されているので安全に見学できる壕である、通風口等あるが奥の方は十分暑い、医務課壕を越えてさらに進むと大坂山北側に着く、そこには西海岸をにらむアームストロング15cm砲がある。色々インターネットで紹介されているので詳細は割愛するが監獄岩を望む景色は良く、ここで休憩して飲んだ缶コーヒーは美味しかった。外周道路を南下していくと島民宿泊所、平和記念公園墓地があり更に進むと現在利用中の石油タンク群がありその先に西海岸の鶯地獄に着くここから遠くに北硫黄島を見ることが出来た。島中部(滑走路北側)は元山部落という島の中心部(村役場等あった)を訪ねる、その痕跡は全く残っていないが硫黄神社が戦後に最建立してある(台風で大破してそのままだが)、また硫黄が丘という戦前から変わらず硫黄を含んだ地下水が噴出している場所がある。何度も戦記を読んだ旧海軍兵橋本衛さんが勤務した元山砲台(高射砲・対空機銃)もこの辺りで何度も読んだ本なので感慨深かった。また硫黄島渡島直前に地元護国神社で知った地元島根県の兵士を中心に編成された陸軍独立歩兵310大隊の地下壕跡が北飛行場跡西端(日本軍のつくった北飛行場ではなく戦後米軍が元山飛行場の拡張に併せてつくった予備飛行場の方、こちらも北飛行場と呼ばれている。今も跡が残る)・大坂山周辺にあって訪れた、ここで地元の兵隊さんが戦ってくれた場所だと思うと非常に感慨深い時間だった。その西側が元山飛行場跡と言われているがここは米軍がつくった通路跡で飛行場跡とは間違っていると思う。現飛行場西端付近が千鳥飛行場東端付近にあたる、主要道路から入ってすぐのところに米軍戦車M4シャーマンがある、M4シャーマンは側面をコンクリートで固めてある応急の対戦車地雷よけが作ってある。バズーカ砲やパンツァーファウストといった歩兵用戦車兵器が開発できなかった日本軍は磁石でくっつけて爆発する対戦車地雷に頼らざるを得なかったため米軍もそれに対応するようにしてあった。M4シャーマンの少し先には船見台と呼ばれる高台があったが重要施設と認識していなかったため見落としてしまった。もう一度いったら是非訪れたい。


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