恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

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夜勤の夜 第八話

2019-10-04 10:56:11 | 夜勤の夜



 凶暴さを湛えた瞳にかおるの脚は震えたが、それでも二人から目を離さず電話を置いた机までそっと後退る。
 アンプルの入った箱を持って戻ってきた松橋に目を細める男の隙をつき、素早く受話器を取って警備員室のボタンを押す。
「強盗です。早く来てください」
 かおるは緊急事態を小声で伝えたが、相手の応答を聞く間もなく男に気付かれてしまった。
「てめぇなにしてるんだぁ」
 男は山尾の背におもいきりナイフを突き立てるとかおるに向かって突進してくる。
 かおるは受話器を落とし、悲鳴を上げて逃げようとしたが足が竦んで動けなかった。髪を鷲掴みにされ、男に引きずり倒される。ヘアピンがはずれナースキャップがころころと床に転がった。
「いやああっ助けてっ」
 ぶら下がって揺れる受話器から「もしもし? もしもし?」と声が聞こえていたが危機を伝えることもできない。
 男が悠々と受話器を元に戻し、かおるの身体を思い切り蹴りつけた。
「さっさと注射の準備しろっ」
 突っ立ったままで動けない松橋にそう命令し、松葉杖とともに倒れ力なく呻いている山尾の背中に刺さったナイフを思い切り押す。
 ぐぽっ。
 最後の息を吐き山尾は動かなくなった。
「山尾さん――ごめんなさい」
 痛みに動けず泣きながらかおるはつぶやく。
「石田さん、どうしたの?」
 ナースステーションの入口で眠そうに目を擦りながら由紀生が立っていた。
「ゆ、由紀生君っ来ちゃだめ。早く逃げて」
 かおるは立ち上がろうとしたが、それよりも早く男に背を踏みつけられ、逃げる間も、悲鳴を上げる間もなく由紀生は捕まってしまった。
「子供は大っ嫌ぇなんだよなぁ」
 男は口を押さえ込んだ由紀生の柔らかい喉を掻き切り「全部お前とお前のせいだからな」とかおると松橋を順に見遣ってにたっと笑った。

 松橋は動くことができなかった。涙が溢れ嗚咽が込み上げてくるからでもあったが、男の要求をいまだ呑むことができないからでもあった。
「さっさとやれよぉ、でないとミンチにしちゃうよ」
 男が由紀生の身体にナイフを刺し込んでいく。
「わ、わかったから、その子にそんなことしないで」
 松橋は注射器を用意し、アンプルのフタを外した。
 床に伏せたままのかおるは泣き崩れて動かない。
 何とか彼女だけでもこの場から逃がすことはできないだろうか。
 松橋は急いでいるふうを装い薬液をゆっくりと吸い上げ時間を稼いだ。
 男が唾を呑み込みながらこっちをじっと見ている。
 この間に立って早く逃げてくれ。
 松橋は横目でかおるの様子を窺った。
 かおるもこちらを見計らっている気がして、男が自分から目を離さないよう注射器に入れた薬液を大袈裟に見せつけた。
 男が椅子を転がしてきて松橋の前で座ると袖をまくり腕を出す。
 いまだ。

 松橋が目配せしたのに気付き、かおるは痛みに耐えながらなんとか身体を起こした。
 男は松橋から薬液を注入されている真っ最中で、逃げるなら今しかない。
 だが、ナースステーションから出ようとしたその時、エレベーターの到着音が暗い廊下に響いた。
「大丈夫ですか?」
 降りてきた警備員がかおるに声をかける。
 なんでこんな時に――
 かおるは恐る恐る男を振り返った。と同時に白衣を赤く染めた松橋のくずおれる姿が目に入る。
「あ――」
 間の抜けた警備員の声がした。
 男が腕に刺さったままの注射器を引き抜いて投げ捨て、ナイフを振りかざしながらかおるに飛びかかって来た。
 背中に受けた激痛に閃光が明滅する。
 逃げ出す警備員の後姿が見えた後、薄れゆく視界に婚約者の優しい笑顔が浮かび上がって消えた。