おらと煙は・・・  ~ Diary of  ”Maikuru” ~

高い所が好き。山の頂上で食べるラーメンが大好物。
密かにアクティブ宣言した勘違いオヤジの日記。

おがだっつぁま

2014年08月23日 | 日記
平成26年8月23日(土)     曇り





 高校野球は残念ながら山形中央高校が3回戦で敗退し、昨日の準々決勝で東北勢が姿を消してしまいました。山形中央高校に関しては野球の内容もさることながら、規律正しい行動が立派で礼の揃い方などがネットで称賛されていると後輩が言っておりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。



 さて、昨日は午後から天気が崩れました。特に雷が真夜中まで鳴り響き、大変でした。

 雷は、「おがだっつぁま」「かみなりさま」「らいさま」「ごろごろさま」など人によって色んな言い方がされますが、昔の人にとっては「様」がつくあたり実は偉いんだと思います、たぶん。ちなみにウチは「おがだっつぁま」「らいさま」派(?)です。また、ヘソを取られるからドマギ着けろとか仏様に線香をあげるといなくなるとか今の子供達に聞かせたら「ありえねぇ~」「アタマおかしいんじゃない~、マジで~」と鼻で笑われそうなことを、ちょっと昔子供だったおらは真剣に信じていました。

 その地域での呼び方や考え方など、雷も調べれば結構色んな事が分かるかもしれません。「おがだっつぁま学」。


 我が地域は田んぼに囲まれた集落ですが結構雷の通り道(実際そんなものがあるかは不明)となっており、田んぼに落ちてイネが赤くなったり、民家のテレビのアンテナに落ちてテレビが壊れたり、神社の雷が落ちた木に関しては何故か切り株が何十年と残されています。

 夜中雷が遠くから「ドーン」「ドーン、ゴロゴロ」と地鳴りと共に近付いてきて、どうかウチに落ちませんようにと子供心に目をつぶって祈った恐怖は今でも憶えております。無事通り過ぎたその雷は年寄りばあちゃんが内職をもらっていた工場に落ちて火事になり、職を失いガッカリした年寄りばあちゃんの顔も今でも憶えております。

 今のように簡単に車で送り迎えしてもらえる時代ではなかったので、雷が鳴る日はいつ自分に落ちてくるか分からない恐怖(ガクガク(((n;‘Д‘))ηナンダカコワイワァ)と隣合せで家に帰ったものです。電信柱の近くだと自分に落ちないとか安全ピンのついた名札を付けていると危ないとか傘をさすと雷が落ちるのでカッパ着ようとか、子供心にみんなで色々な事を考えながら下校することもありました。その雷への恐怖が今でも忘れられずにいるのかもしらません。


 ちなみに「地震、雷、火事、親父」と怖い物の中に親父が入っていますが、「地震、雷、火事、カガア」のほうが世の中のお父さん方のアングラではしっくりくるかもしれません。ジェンダーも変化しているので。


 昨日の天気、山形では3時半ごろから黒い雲が見られるようになり雷が鳴ってきました。5時前に強い雨が降り始め、天童では大きな雹(ヒョウ)が降ったそうです。寒河江に集金に行った者は強い雨に車で進むのも大変で、休んでから遅れて帰ってきました。おらといえば10時頃まで仕事だったので夕方の雷雨はおさまっていたのですが、会社を出て山形駅周辺を歩いていると西の空が10秒に1回位ビカビカと光っています。音はしないのですが近いので車に乗るまで生きた心地がしませんでした。


この間隔だったらもしや?と赤信号で写真機のシャッターを押してみます。




おお、じょんだじょんだ!なんと一発で雷を上手に写すことに成功しました。


 その後も時々昼のように明るくなる雷の中を運転し、なんとか帰宅する事ができました。自宅近くに来ると雨と風が強くなりました。「激しい雨がっ俺をあらっうっ、激しい風が俺をはこっぶっ」と心の中で唄いながら車を道の真ん中に止め、せっかく出した写真機を再び手に取りその様子を写してみました。




写真は難しい。目でみたとおりにはいかないですね。

 午前0時、カミナリは山を越え奥羽山脈の向こう側(大崎市方面)で光っていました。


 日記をつけながらおがだっつぁまに対するこの辺の文化(?)をもっと深く知りたくなりました。「おがだっつぁま学」を究めねば。








 

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