兵庫県精神障害者連絡会・代表のブログ

1995年に設立された兵庫県精神障害者連絡会の設立時メンバーであり,20年間代表を務めているメンバーのブログです

マルクス主義的な精神障害者解放論の可能性・その1

2024-07-03 | 日記
マルクス主義者に丁寧な言い方をすると、マルクス主義は閉じた思想ではないということがあると思います。いくつもの転回点を持ちながら自分の思想を発展させ、それまでに自分が構築した思想を破壊することも辞さなかったのがマルクスだと思います。
そういう意味では、マルクスは『資本論第一巻』を上程した後、それまでの自らの思想を破壊する過程に入ったと思います。一つが、斎藤幸平が指摘する1868年からの転換であり、私が指摘した1869年の「革命論」の「労働者中心の革命論から被抑圧民族解放革命を含む革命論」への根本的な転換であり、さらには1880年頃からの「史的唯物論」の解体の作業という形での「労働者中心革命論」の抜本的な見直しの過程だと思います。1880年頃からマルクスはロシアにおける農民革命主義者の『人民の意志』党による革命を期待するようになり、この頃ロシアで始まった労働者中心革命主義の後に「ロシア・マルクス主義者」になる人たちは自分とは関係の無い人たちだと言っています。『人民の意志』党は後に、「左翼エス・エル」党に発展しロシア革命を「ロシア・マルクス主義派」のボリシェビキと協力して実現しましたが、後にボリシェビキによって殲滅され(文字通りの皆殺し)歴史の闇に葬られました。「ロシア・マルクス主義派」のレーニンとその後継者は、マルクスが晩年に書いていたいくつものノートを隠ぺいしていましたが、後の西欧マルクス主義派や、日本人の斎藤幸平によって掘り起こされています。レーニンもレーニン主義者もマルクスの思想の継承者ではなかったから、マルクスの思想を継承していた「左翼エス・エル」党を葬り去り、歴史的事実からも消し去るしかなかったのかもしれません。
マルクスは絶えず実践的に革命をどう実現するのかということと不可分に、自らの理論的な発展をさせていきます。『資本論第2巻、第3巻』は生涯完成することがありませんでした。それはマルクスの失敗ではなくて、マルクス主義が未来に開かれた思想であり、その時々の革命の実現の道の追及が、理論的な『第2巻、第3巻』の展開過程だと言うことだと言えるのではないでしょうか。その意味では、現代の私たちもマルクス主義を閉じてはならないし、『資本論第2巻・第3巻』を内容的に充実させて、絶えず未来へ向けて発展させる必要があるのだと思います。


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