下のおチビちゃんが生後6か月の時に同居を開始
引っ越し当日、荷物をトラックに積み終えいざ出発と言う時に義母から電話
“ゴメン、今日今から○○(ジジィ××時代一番最初の赴任先)に行かないと行けなくなったから、引っ越し一人でしてくれるかなぁ”って、それならそれで、先に言えこっちももう一人おチビちゃんを見てくれる人段取りするっちゅうねんと思いつつ、“解りました”と言って、おチビを片手に抱いたまま一人で引っ越し作業
とにかく寝れる状況にしなければならないので、おっぱいをあげながら必死で片付けていると、19:00頃ご帰宅こっちは子ども達にご飯もそこそこに頑張ってると言うのに“今からご近所に挨拶に行くから”って今週中やったらエエん違うんと思ったものの、とりあえず中断してご近所に挨拶へ…
その後何一つ手伝うわけでもなく、お兄達もまだ小学生で手伝ってんだか何なんだかだけど、何も無いよりマシと、とにかく寝れる状態にするそこへ主人仕事から帰宅
それからは毎日私は午前中おチビちゃんを義母に預け、仕事を手伝いに行き昼に義母と交代をし自治会の掃除やめんどくさい事は私、月に2回の墓守も私という生活を続けていた
まあその仕事たるやいい加減にも程があると言うものお客様あってのものなので、きちんとするのが筋かと思いやっていると“そんなものはもう良いんですさっさと終わらせなさい”って途中でもお構いなしで苦情も多く良く頭を下げていた記憶がある
そうこうしているうちに、4人目を妊娠したのだがつわりがひどく脱水症状で2週間入院これを機に仕事の手伝いは辞めたが(私がブチ切れる前で良かった)、ジジィは初めから私の事は気に入らなかったのだが、人間扱いしなくなったのは、その後退院して少しすると私の両親に良い土地があるから買えと言ってきた(仕事と言うのは不動産業)のだが、持ってくる話は全く良いものとは思えない物ばかりで、うちの両親は私が一人娘なので、老後の心配をかけまいと二人で色々と考えてやっているのに、余計な事を言いだし両親も気を使って“あんたの立場が悪くなったらあかんから…”と言いだしたので主人も私の両親に“そんなろくでもない話にお金を使わないでください”とお願いしてくれ、ただ電話で断るのは失礼だからと、わざわざ店まで出向いて申し訳ないですと謝る必要もないのに、言いに来てくれたのだが、そこから帰ってきて私に
“あなたのお父さんは最低ですね私がせっかく良い話を勧めてあげてるのに断りに来るなんて男として本当に最低な人です”と言いよった
身内にしか商売できへんお前が最低なんじゃと心で叫び、その場はグッと我慢したが、その数日後、近所のスナックのパーティー券を買ったからと主人と義母と3人で飲みに行った先で、主人と喧嘩が始まり帰ってきて、またそれは私のせいだと、そしてまた私の父親の事を最低呼ばわりして上に行きよった
そうこうしているうちに、検診の日が明日となったある日お腹の赤ちゃんが動かない事に気づき、病院へ行くと心臓が止まっていた…
そのまま入院24週目お兄達そっくりの男の子だった…
クリスマスも病院で過ごし年末退院1人でタクシーに乗って家に朝一番で帰るとジジィと義母が丁度仕事に行く所で、第一声が
“帰ってきたなら荷物置いてすぐに店に来なさい”だった義母は何も言わず
私は即主人に電話をして主人が店に電話をしてくれ、義母から電話“そんなん言ってくれたら良いのに、○○(主人)からエライ言われたわ”って
普通気づくやろ母親やったら
で年末の準備その年はこっちに来て初めてだったので義母がやっているのを手伝ったと言うか、説明してもらってほとんど私がした退院した次の日から…
続きはまた日を改めて…
引っ越し当日、荷物をトラックに積み終えいざ出発と言う時に義母から電話
“ゴメン、今日今から○○(ジジィ××時代一番最初の赴任先)に行かないと行けなくなったから、引っ越し一人でしてくれるかなぁ”って、それならそれで、先に言えこっちももう一人おチビちゃんを見てくれる人段取りするっちゅうねんと思いつつ、“解りました”と言って、おチビを片手に抱いたまま一人で引っ越し作業
とにかく寝れる状況にしなければならないので、おっぱいをあげながら必死で片付けていると、19:00頃ご帰宅こっちは子ども達にご飯もそこそこに頑張ってると言うのに“今からご近所に挨拶に行くから”って今週中やったらエエん違うんと思ったものの、とりあえず中断してご近所に挨拶へ…
その後何一つ手伝うわけでもなく、お兄達もまだ小学生で手伝ってんだか何なんだかだけど、何も無いよりマシと、とにかく寝れる状態にするそこへ主人仕事から帰宅
それからは毎日私は午前中おチビちゃんを義母に預け、仕事を手伝いに行き昼に義母と交代をし自治会の掃除やめんどくさい事は私、月に2回の墓守も私という生活を続けていた
まあその仕事たるやいい加減にも程があると言うものお客様あってのものなので、きちんとするのが筋かと思いやっていると“そんなものはもう良いんですさっさと終わらせなさい”って途中でもお構いなしで苦情も多く良く頭を下げていた記憶がある
そうこうしているうちに、4人目を妊娠したのだがつわりがひどく脱水症状で2週間入院これを機に仕事の手伝いは辞めたが(私がブチ切れる前で良かった)、ジジィは初めから私の事は気に入らなかったのだが、人間扱いしなくなったのは、その後退院して少しすると私の両親に良い土地があるから買えと言ってきた(仕事と言うのは不動産業)のだが、持ってくる話は全く良いものとは思えない物ばかりで、うちの両親は私が一人娘なので、老後の心配をかけまいと二人で色々と考えてやっているのに、余計な事を言いだし両親も気を使って“あんたの立場が悪くなったらあかんから…”と言いだしたので主人も私の両親に“そんなろくでもない話にお金を使わないでください”とお願いしてくれ、ただ電話で断るのは失礼だからと、わざわざ店まで出向いて申し訳ないですと謝る必要もないのに、言いに来てくれたのだが、そこから帰ってきて私に
“あなたのお父さんは最低ですね私がせっかく良い話を勧めてあげてるのに断りに来るなんて男として本当に最低な人です”と言いよった
身内にしか商売できへんお前が最低なんじゃと心で叫び、その場はグッと我慢したが、その数日後、近所のスナックのパーティー券を買ったからと主人と義母と3人で飲みに行った先で、主人と喧嘩が始まり帰ってきて、またそれは私のせいだと、そしてまた私の父親の事を最低呼ばわりして上に行きよった
そうこうしているうちに、検診の日が明日となったある日お腹の赤ちゃんが動かない事に気づき、病院へ行くと心臓が止まっていた…
そのまま入院24週目お兄達そっくりの男の子だった…
クリスマスも病院で過ごし年末退院1人でタクシーに乗って家に朝一番で帰るとジジィと義母が丁度仕事に行く所で、第一声が
“帰ってきたなら荷物置いてすぐに店に来なさい”だった義母は何も言わず
私は即主人に電話をして主人が店に電話をしてくれ、義母から電話“そんなん言ってくれたら良いのに、○○(主人)からエライ言われたわ”って
普通気づくやろ母親やったら
で年末の準備その年はこっちに来て初めてだったので義母がやっているのを手伝ったと言うか、説明してもらってほとんど私がした退院した次の日から…
続きはまた日を改めて…