日々の記録、ときどき本の感想

最近はときどきどころかたまーに本の感想、ほとんど日常の記録です。

2023.3.22

2023-03-22 23:11:17 | 日記

今日は暖かくなるという予報なのは知っていたけど、まだタイツを手放す勇気がなくて履いて出勤したら、お昼ごろにはちょっと暑かった

そろそろ切り替え時かもしれないけど、朝はまだ少し寒い

いつも通り8時くらいから仕事

ルーティン業務を片付けて、10時に来客あり

色々訳ありの方だったので付き添いの方が多くて、視線をクルクル回しながら会話をすることになる

大人数が久々だったので、視線の持っていきどころの正解がつかめないまま終わってしまった気がする

もうちょっと落ち着いた感じで対応したかったな

12時30分にお仕事終了

帰りの支度をしている途中で、ふいに今日自分は半日勤務なのにお弁当を注文してしまっていたことに気が付いた

なぜそこで気が付けたのかはわからないけどナイス閃き

お弁当を食べてから帰宅した

14時から16時で荷物(ペットボトルのルイボスティーをまとめ買い)の受け取り時間を指定していたので、本の感想を書きながら待つ

15時30分くらいに無事受け取り

誕生日プレゼント用のラッピングを買いに100円ショップへ行く

18時くらいから実家で母と祖父と夕ごはん

そのあと録画していた大河ドラマを見て、母と一緒にクイズ番組を途中まで見て帰宅

ゆっくり入浴

このあと肩凝り防止のストレッチをして寝る予定

昨日が祝日だったせいで明日は火曜日な気がしていたけど木曜日だ

 

 


「ゼロからの『資本論』」

2023-03-22 15:58:00 | 本の感想

「これからも資本主義が続くと、と言われて未来に希望を持てる人は、どんどん減っているのではないでしょうか?ー「はじめに」より」
という裏表紙の文言を見て購入した本。

読んでみての結論は「これからも私は資本主義でいいかな」という感じ。

そもそも私は資本論を読んだことがなくて、来世はミツユビナマケモノに生まれたいと願っているようなヤツだから、正直「人間らしい労働」的な概念がまったくピンこなくて、ずーと頭の中に疑問符が浮かんでしまう。

私はまず食べるために働いている。

ライオンが狩りをするのはただ食べるためでそれ以上でもそれ以下でもないのに、人間に生まれた途端、エサの獲得行為にそれ以上の意味とか価値がないといけないなんてしんどくない?

もちろん職場にある種のコミュニティがあったり、自分の中で多少の達成感とかがあったりして、働くのがただただ純粋に食べるためだけでない部分はあるけれど、それは付属物であってメインで目指すものではないと思ってる。

「自律的な労働」、心身ともに最高に調子がいい時ならしたいかもしれないけど、正直労働にずっとそんなに労力を割きたくないな。


それに「コミュニズムは等価交換を求めない贈与の世界で、自分の能力や時間を活かしてコミュニティに貢献し互いに支えあう。世の中には数学が苦手だけど体を動かすことが好きな人もいれば、口下手だけど絵の上手い人もいる」ということが書いてあって、正直その素晴らしい世界は私には生きにくいなとも思ってしまった。

理想郷なんだろうけど、自分をその中に置くとなるとしんどい。

世の中には、数学が苦手で運動も会話も下手だし絵も特に描かない人もいれば、数学も運動もできてコミュニケーション能力も高くて絵も上手な人もいるのが現実だよね。

私は何かがすごくできるというわけではないから、多少得意なことがあったとしても自分の上位互換みたいな人が絶対にいるし。

それは別に今の資本主義社会でもいるんだけど、賃金の格差というわかりやすい指標があってそれで差がついているならば、自分のできなさに申し訳なさを感じることもなく割り切れる。

でもそういうドライなものがなくてずっと借りが増え続ける感じがするのは私は精神的に負担が大きいな。

人間はしてもらったことよりしてあげたことのほうを良く覚えているらしいけど、それは人に借りがあることが無意識的にストレスになるからという説もあるくらいだし、同じように感じるのは私だけではないんじゃないかな。

逆にとくに何か秀でたものがあるわけでもない私の労働力を買ってくれて、それなりに活用してくれて、生活できるだけの賃金くれる今の会社ありがたいなーと思った。

奴隷根性と言われるかもしれないけど。


あとコミュニズムで必ず言われるのが、資本家による搾取で、資本主義の自然的経過にまかせると格差が広がっていく問題なんだけど、これも豊かさの考え方によって何とも言えないなと思う。

ここでの豊かさは物質的な豊かさのことなんだけど、相対的な面とそうではない面があると思うんだよね。

例えば、この世界に今リンゴが一個しかなくてどうしても食べたい時に、私が100円持っていて相手が90円しか持っていなかったら、私はリンゴを食べられる。でも相手が110円持っていたら私は食べられない。(相対的な豊かさ的なことを表現したい‥)

物にはだいたい限りがある以上、隣の人が豊かになることは相対的に自分が貧しくなることだから、何もしていないのに格差が自然に広がっていくのは怖いことではある。

ただ私がシロツメクサのイメージの香水とかバーガンディのアイラインとかステンドグラス柄の傘とかのお気に入りを手に入れられたのは、その余剰の資本が巡り巡った結果で、もし資本主義ではなかったら多分持つことはできなかったものなんだよね。

自分でそれを作り出すとかできないし。

協同組合的生産がコミュニズムの基礎とされて、「協同組合が作るものは、ないならないで困らないようなぜいたく品ではなく、人々が生きていくのに欠かせないような必需品です」と書かれていて、「SNSやスマホゲームのようなものは作ったりしません」となっている。

でも出版業は海外で展開されている協同組合事業の例として挙げられているんだよね。

私の中でスマホゲームするのと「ゼロからの『資本論』」を読むのは、私がそれをすることが社会の為に役立つわけではないけど自分が余暇の時間を楽しむためにすることという意味でほぼ同じ価値なんだけど、この本の中では優劣がありそう。

何がなくて困らないかを誰が決めるんだろう?

私と他の人の価値観はまったく一緒にはならないだろうから、おそらく人の数だけ価値観があって、資本主義ではそれは需要と供給といういわゆる「神の手」で自動調整されるけど(多分)、コミュニズムは何がその役割を担うんだろう。

それをジャッジする神の視点の存在が不可欠になってこないかな?

私の香水とかアイラインとか、だいたいの人に「そんなものいらんやろ」って言われて終わる気がする。

でも労働者は同時に消費者でもあって、その側面も人生の中では大きいなと最近は常々思うんだよね。

若い頃は人生は消費よりもっと意味のあるもの(それこそ仕事のやりがいとか人との関係とか)にこだわって生きるべきだと思っていたけれど、自分以外の存在は(当たり前だけど)自分の為に存在するわけではないから私がどうこうできることではなくて、生きる力を与えてくれる時もあるけれど死にたい気持ちにさせられることもある。

でも物は自分が所有すれば自分が好きなように取り出したり使ったりできるから、メンタルヘルス的に結構大きな影響があるなと思っている。

若い頃は強い気持ちさえあれば我慢できるし頑張れると思っていたんだけど、正直全然そんなことなかった。

そうすると結局私にとって住みやすい社会は資本主義、でも格差や労働条件の悪化ががんがん進むのは怖いからある程度の規制はしてほしいな‥で、結局今の社会でいいな、となる。

いいと言うか、正直、資本主義の端っこにひっかかる以外で生きていける気がしない。

結局自分が暮らしやすいかという視点になってしまうから手前勝手なんだろうけど、自分→自分の家族・恋人・友人→その周りの人たち→同じ国で暮らす人たち→地球で暮らす人たちと同心円状に優先順位が広がるのが健全な精神状態であって、「自分は死んでも地球を救いたい!」とか言いだしたら狂気だから。


ただ外部経済の問題(先進国的な生活が環境破壊を促進しているし、そのツケを他国に押し付けている)は加害者だなと自覚はした。

私の好きなハイカカオのチョコレートは誰かの劣悪な労働環境の上に成り立っているかもと、今までも実は考えたことはあった。

でも購入を止めたら解決するのかと考えると、収入が途絶えるだけで状況が良くなるわけではないのではないかと思って、結局何も変わらない行動をとり続けてきたんだよね。

フェア・トレード商品ならマシなんだろうか?

そのへんはもう少し調べてみよう。


外部経済の問題で進んでいく環境破壊について(ちょっと別の本(食べる経済学)を読んで考えたことが混ざるかも)。

一番環境負荷が大きいと言われる牛肉は元々あまり好きではなくて(嫌いではないけどお腹痛くなりがち)自分はほとんど食べないし、なんなら代わりにコオロギでも全然いいんだけど、それで生活している方もいるし、人に正面切ってそれを言って波風を立てる勇気はありません。ごめんなさい。

ビーガン指向は「動物愛護」と「健康志向」と「環境保護」の3つの視点から発生すると思っていて、1つ目と2つ目の理由での肉食を避ける生活については個人の嗜好で好きにしたらいいし押し付けられるのは嫌だなと思っているけど、3つ目の視点については本当はもっとちゃんと議論もしていかないといけないんだろうな。


※うっかり最後まで読んでしまった方いましたら、全然コミュニズムに詳しくない者が覚書で記録している程度のものなのでなんかごめんなさい。
思うところがあっても(生)温かーく心に留めておいていただけると嬉しいです。
自分がまた別の本を読むときに前に読んだ本と知識とか思考を繋げたいので、何か思うことがあったら記録をしておきたいのです。