こうして、さらっと言えるって
すごいね。
収録時間の待ち時間を「待ち」ととらえず、
スタッフの作業を眺める時間、共演者や監督と語る時間と
とらえていることすら、頭が下がる。
自分目線で物事を考える人多いよね。
自分のことしか考えない
人のことしか理解できない、というかほかの人のことを理解しようとしない
自分の言いたいことだけいう。後はシャットアウト。
きっと、そんな人たちには、
拓哉君のこうした姿勢は永遠に理解できないだろうな。
「武士の一分」の
撮影の様子や、毎日の私服を収録した特典DVDが
私は好きだ。
特に、撮影の様子は、撮影に入った日から記録されていて
私的には、ある種の感慨を持って見られずにはいられない。
なぜかというと、撮影が始まったまさにその日は、
母が脳管血腫という病気に侵された日だったからだ。
「頭がずきんとする。」「風邪ひいたかも。」
その日だった。瀬戸内の暖かいところにも雪の積もった寒い日。
ちょうどその日に撮影を開始したんだね。
それから、3日後、病院に行き、
即入院となった。
自覚症状は
頭痛(こらえらないほどではない。)と、聴覚障害(会話がかみあわなくなった)
そんなに、重井病気とは思わなかったので、私たちは耳の病気かな。風邪かなくらいに考えていた。
念のために行った脳外科で精密検査をした結果、病状が判明したのだ。
近くにも脳外科はあったが、専門の優れた先生のおられる病院を選択して懸命だった。
母は、帰るつもりでいたので、とても不安がった。
正直、一家の生活すべてを母に任せていた父と私も不安になった。
年の瀬の押し迫った28日に母は手術をした。
レントゲン写真を見ながら一人で手術の説明を受けた私は、
「ドラマみたい。」と
現実のことのように思えなかった。
そして、「最悪のことも覚悟してください。」
「手術をしても改善されるかどうかはわかりません。」と説明を受けた。
「サイアクって?」・・・一人でその言葉の意味を考えていた。
手術前、剃髪をした母。手術箇所に赤いしるしを入れられた母は、少女のように無邪気に笑っていた。
そして、無事に手術は終了。
元旦も病院で迎えた。
1月末に退院するまでは、殆ど食事もとれず、点滴で栄養をとっていた母。
2月になって退院しても、なかなか食事がとれず、排便もままならず、どんどんやせ細り、不調を訴えていた。
ひょっとして・・・何度もそんな言葉が頭をよぎったが、否定し続けた。
不器用で家事などほとんどしなかった父が献身的に母を看てくれた。
仕事の合間に私もできるだけのことをした。
拓哉君の撮影が終わるころ、ようやく母も元気になったのだ。
だから「武士の一分」という作品は、私にとって特別な作品であるし、
彼の、撮影にかかわっている以外のがよくわかる特典DVDもなくてはならないものになっている。
母は、今、とても元気にしている。
看病を一生懸命してくれた父は、その後腎臓癌になるも、手術で持ちこたえた。
しかしながら一昨年、とうとう胃癌で亡くなった。
家族を愛し、家族に支えられているから
人に対しても優しくできると思う。
拓哉君も、きっとお母様やお父様からたくさんの愛を受けて育ち、
多くの愛をまたご自身のご家族に降り注いでいるのだろうな。
ポポロの写真を見て、文章を見て、
いろいろなことを思っている。
そして、謙虚さを忘れない、
ぶれない強い心を持っている
この人が好きでよかったと
また、
改めて感じている。
私も、
くさりそうな時もあるし
悔しい思いをすることもあるし
腹の立つこともあるけれど
くさらずに
がんばっていかなきゃなと
前向きな気分になれる。
今日を
一生懸命生きよう