リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 二 ・蘇我蝦夷臣の思惑と推古天皇の遺言 二 ・大臣と境部摩理勢臣の話し合い



日本書紀 巻第二十三 
息長足日広額天皇 二

・蘇我蝦夷臣の思惑と推古天皇の遺言 二
・大臣と境部摩理勢臣の話し合い



時に、
群臣は黙り、
答えは無く、

また問いましたが、
答えませんでした。
強くさらに問ました。

ここにおいて、
大伴鯨連(おおとものくじらのむらじ)は
進み出て、
「既に天皇の遺命(いめい)に
従うだけです。

更に群の言を待つべきではありません」
といいました。

阿倍臣は、
則ち、問いかけて、
「どういうことか、その意を開け」
といいました。

答えて、
「天皇が、
どのように思い、
田村皇子に詔して、

『天下は大任である。
緩めてはならぬ』
と言ったのでしょうか。

これによって言えば、
皇位は既に定まっています。

誰人(たれびと)も異言はないでしょう」
といいました。

時に、
采女臣摩礼志(うねめのおみまれし)、
高向臣宇摩(たかむくのおうま)、
中臣連弥気(なかとみのむらじみけ)、
難波吉士身刺(なにわのきしむざし)
の四の臣が、

「大伴連の言に随ます。
更に異はございません」
といいました。

許勢臣大麻呂(こせのおみおおまろ)、
佐伯連東人(さえきのむらじあずまひと)、
紀臣塩手(きのおみしおて)の三人は
進み出て、

「山背大兄王(やましろのおおえのみこ)、
これを天皇にするべきです」
といいました。

ただ、
蘇我倉麻呂臣(そがのくらまろのおみ)
ひとり、(更の名は、雄當(おまさ))

「臣は、
この時に当たり、
言うことはできません。

更に後に思してから、
啓(もう)しましょう」
といいました。

ここに大臣と群臣は、
和合せず、

事を成すことができないと知り、
退きました。

これより先に、
大臣はひとり、
境部摩理勢臣(さかいべのまりせのおみ)
に問いかけて、

「今、
天皇は崩じて嗣がいない。
誰を天皇とするべきか」
といいました。

答えて、
「山背大兄を天皇に挙げて
天皇にしましょう」
といいました。

この時、
山背大兄は、
斑鳩宮(いかるがのみや)に居て、
この議りを漏れ聞きました。

即ち、
三国王(みくにのおおきみ)、
桜井臣和慈古(さくらいのおみわじこ)の
二人を遣わして、

密に大臣に語って、
「伝え聞くところによると、
叔父は田村皇子を天皇にと欲していると。

我はこの言を聞き、
立って思い、
居して思っても、
その理がわからないのです。

願わくは、
叔父の意を分明(ぶんめい)を
知りたいと思います」
といいました。



・遺命(いめい)
死後のために残した言いつけ・命令
・分明(ぶんめい)
事を分けてはっきりさせるさま。はっきり見きわめがつくさま



(感想)

前回のお話


この時、
群臣は黙り、
答えは無く、

また問いましたが、
答えませんでした。

強くさらに問ました。

この時、
大伴鯨連が進み出て、

「既に天皇の遺命に従うだけです。

更に群の言葉を
待つべきではありません」
といいました。

阿倍臣は、
すぐに問いかけて、
「どういうことか、
その意味を述べよ」
といいました。

答えて、
「天皇が、
どのように思い、
田村皇子に詔して、

『天下は大任である。
緩めてはならぬ』
と言ったのでしょうか?

これによって言えば、
皇位は既に定まっています。

何人も異言はないでしょう」
といいました。

この時、
采女臣摩礼志、
高向臣宇摩、
中臣連弥気、
難波吉士身刺の四人の臣が、

「大伴連の言に随ます。
更に異はございません」
といいました。

許勢臣大麻呂、
佐伯連東人、
紀臣塩手の三人は進み出て、

「山背大兄王を天皇にするべきです」
といいました。

ただ、
蘇我倉麻呂臣がひとりは、
「私は、今すぐ、言うことはできません、

更に後に思慮してから、
もうしましょう」
といいました。

ここに大臣と群臣は、
和合せず、

事を成すことができないと知り、
退きました。

これより先に、
大臣は、

ひとり境部摩理勢臣に問いかけて、
「今、天皇は崩じて日嗣がいない。
誰を天皇とするべきか」
といいました。

答えて、
「山背大兄を天皇を推挙して
天皇にしましょう」
といいました。

この時、
山背大兄は、
斑鳩宮に居て、
この議りを漏れ聞きました。

すぐに、
三国王、桜井臣和慈古の二人を派遣して、

秘密裏に大臣に語って、
「伝え聞くところによると、
叔父(蝦夷)は

田村皇子を天皇にとしたいと。

我はこの言葉を聞き、
立って思い、
座って思っても、
その理由がわからないのです。

願わくは、
叔父の意思を
はっきりと知りたいと思っています」
といいました。

しかし、謎ですね。

山背大兄王は、
蘇我蝦夷にとって甥っ子です。

山背大兄王が蘇我蝦夷に反抗的なのか?
と思いきや

文章からは慕っているのが読み取れます。

何故、
蘇我蝦夷は

血縁関係のない田村皇子を
天皇に推挙しているのでしょうか?

血縁関係があり、
自分を慕っている甥っ子を

天皇にした方が
傀儡にしやすいのではないでしょうか?

う~ん。
わからない。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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