日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 五十七
・吉野宮への行幸
・高市皇子の死
五月三日、
詔して、
大錦上の秦造綱手
(はだのみやつこつなて)に、
姓を賜り、忌寸(いみき)としました。
四日、
吉野からかえりました。
八日、
直廣肆を尾張宿禰大隅
(おわりのすくねおおすみ)に授けました。
あわせて、水田・四十町を賜りました。
十三日、
直廣肆を大狛連百枝
(おおこまのむらじももえ)に贈りました。
あわせて、賻物を賜りました。
六月十八日、
吉野宮に幸しました。
二十六日、
吉野からかえりました。
秋七月一日、
日蝕がありました。
二日、
罪人を赦しました。
八日、
使者を遣わして、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。
十日、
後皇子尊(のちのみこのみこと)が
薨(みまか)りました。
八月二十五日、
直廣壹を多臣品治
(おおのおみほむじ)に授けました。
あわせて、物を賜りました。
元から従った功と
堅く関を守ったことを褒めたのです。
・後皇子尊(のちのみこのみこと)
高市皇子
(感想)
(持統天皇10年)
5月3日、
詔して、
大錦上の秦造綱手に、姓を賜り、
忌寸としました。
4日、
吉野からかえりました。
8日、
直広肆を尾張宿禰大隅に授けました。
あわせて、水田・40町を与えました。
13日、
直広肆を大狛連百枝に贈りました。
あわせて、賻物を与えました。
6月18日、
吉野宮に行幸しました。
26日、
吉野からかえりました。
秋7月1日、
日蝕がありました。
2日、
罪人を赦しました。
8日、
使者を派遣して、
広瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。
10日、
高市皇子が亡くなりました。
8月25日、
直広壱を多臣品治に授けました。
あわせて、物を与えました。
壬申の乱で初めから従った功績と
堅く不破の関を守ったことを褒めたのです。
明日に続きます。
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