日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 五十六
・公卿大夫らを饗応
十年春正月七日、
公卿大夫を饗(もてな)しました。
十一日、
直大肆を百濟王の
南典(なんでん)に授けました。
十五日、
御薪を進めました。
十六日、
公卿百寮人等を饗しました。
十八日、
公卿百寮が、南門で射りました。
二月三日、
吉野宮に幸しました。
十三日、
吉野からかえりました。
三月三日、
二槻宮(ふたつきのみや)に幸しました。
十二日、
越の度嶋の蝦夷の
伊奈理武志(いなりむし)と
肅愼(みしはせ)の
志良守叡草(しらすえそう)に、
錦袍袴、緋、紺の絁、斧等を賜りました。
夏四月十日、
使者を遣わして、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。
二十七日、
追大貳を
伊豫国の風速郡(かぜはやのこおり)の
物部薬(もののべのくすり)と
肥後国の皮石郡(かわしのこおり)の人の
壬生諸石(みぶのもろし)に授けました。
あわせて、
人ごとに絁(ふとぎぬ)・四匹、
絲・十絇、布・二十端・鍬・二十口、
稻千束・水田四町を賜りました。
戸の調役を復しました。
久しく、唐地で苦しんだことを慰めました。
二十八日、
吉野宮に幸しました。
・二槻宮(ふたつきのみや)
両槻宮。斉明天皇が建てた宮
・風速郡(かぜはやのこおり)
愛媛県北条市
・皮石郡(かわしのこおり)
菊池郡南部
(感想)
持統天皇10年春1月7日、
公卿大夫を饗応しました。
11日、
直大肆を百済王の南典に授けました。
15日、
御薪を献上しました。
16日、
公卿百寮人たちを饗応しました。
18日、
公卿百寮が、南門で大射しました。
2月3日、
吉野宮に行幸しました。
13日、
吉野からかえりました。
3月3日、
二槻宮に行幸しました。
12日、
越の度嶋の蝦夷の伊奈理武志と
肅愼の志良守叡草に、
錦袍袴、緋、紺の絁、斧らを与えました。
夏4月10日、
使者を派遣して、
広瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。
27日、
追大弐を伊豫国の風速郡の物部薬と
肥後国の皮石郡の人の壬生諸石に
授けました。
あわせて、
人ごとに絁・4匹、絲・10絇、
布・20端・鍬・20口、
稻1000束・水田4町を与えました。
戸の調役を免除しました。
久しく、唐地で苦しんだことを慰めました。
28日、
吉野宮に行幸しました。