日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 二
・小泊瀬天皇、崩御
・大伴金村大連ら、議する
・倭彦王
天皇が、年五十七歳。
八年冬十二月八日、
小泊瀬天皇(おはつせのすめらみこと)が
崩じました。
もともと男子も女子も無く、
継嗣が絶えてしまいました。
二十一日、
大伴金村大連
(おおとものかなむらのおおむらじ)
が議って、
「方今(ほうこん)、
絶えて継嗣が無。
天下は何処へ心を繋げればいいのだろうか。
むかしから今まで、
禍(わざわい)はこれによって起きている。
今、
足仲彦天皇
(たらしなかつひこのすめらみこと)
の五世孫である
倭彦王(やまとひこのおおきみ)が、
丹波国の桑田郡に居る。
請う。
試しに兵仗(つわもの)を設けて、
乗輿(じょうよ)を挟み衛(まも)りして、
行って迎え奉り、
立てて人主(きみ)としては」
といいました。
大臣、大連等は、一に皆、随い、
計の如く、
迎え奉ることにしました。
ここにおいて、
倭彦王は、
遥かに迎えの兵を望み、
懼然(くぜん)し、
色を失いました。
すなわち、
山壑(さんがく)に隠遁し、
詣でる所がわからなくなりました。
・方今(ほうこん)
ちょうど今。現在。現今
・丹波国桑田郡
京都府亀岡市辺
・兵仗(つわもの)
武器
・乗輿(じょうよ)
天皇の乗物
・懼然(くぜん)
不安になったり、心配したりすること。恐れる事。酷く恐れることおののき恐れること
・山壑(さんがく)
山と谷。山谷
(感想)
継体天皇が、
年、五十七歳の時。
武烈天皇8年冬12月8日、
武烈天皇が崩じました。
武烈天皇には、
息子も娘も無く、
継嗣が絶えてしまいました。
21日、
大伴金村大連が議論して、
「現在、絶えて継嗣がない。
天下は何処へ
心を繋げればいいのだろうか?
むかしから今まで、
禍(わざわい)はこれによって起きている。
今、
仲哀天皇の五世孫である
倭彦王が、
丹波国の桑田郡に居る。
どうだろう。
試しに兵仗を設けて、
乗輿を挟み衛(まも)りして、
倭彦王のもとに行って迎え奉り、
立てて人主(きみ)としては」
といいました。
大臣、大連等は、
一に皆、この意見に随い、
計の如く、
迎え奉りることにしました。
ここで、
倭彦王は、
遥かに迎えの兵を望み、
酷く恐れ、
顔色を失いました。
すなわち、
山谷に隠遁し、
行方不明となりました。
武烈天皇が崩御され、
直系男子が途絶えてしまいました。
そこで、
大伴金村大連らが集まり今後を議論しました。
その議論で
私の気になったのは、
大伴金村大連の言葉、
現在、絶えて継嗣がない。
天下は何処へ
心を繋げればいいのだろうか?
むかしから今まで、
禍(わざわい)は
これによって起きている。
私の解釈ですが、
心を繋ぐ拠り所、天皇。
その天皇の血筋が途絶えてしまった。
天の下の者たちは
何処へ心を繋げればいいのだろうか?
昔から今まで、
禍(わざわい)は
心を繋ぐ拠り所が無い
これによって起きている。
天の下の人々に一番必要なのが、
心を繋ぐ拠り所
その心を繋ぐ拠り所には、
自分たちはなれない。
心を繋ぐ拠り所は、天皇だけである。
と大伴金村大連は伝えているように感じます。
そこで、
天皇に相応しい方を探すことにした、
大伴金村大連たち。
仲哀天皇の五世孫である
倭彦王を選びましたが。
迎えに行くも…
アハハ(⌒-⌒; )
倭彦王、
逃げ出してしまいましたね。
迎えの兵が怖かったから?
いや、
天業の重みを知っていて
それから、
逃げ出したのだと私は思います。
しかし、
ここで疑問。
武烈天皇には、
子どもがいませんでしたが、
仁賢天皇の皇女は健在しています。
何故、
女性天皇を立てなかったのか?
何故、
わざわざ直系女子ではなく、
傍系男子を選んだのか?
日本書紀には、
理由がはっきりと書かれていないので、
わかりませんが、
日本では、
重要なことは口伝で伝えていきます。
おそらく、
当時の口伝で、
天皇は神武天皇血統男子に限る
的な言い伝えがあったのかもしれません。
だから、
直系女子を選ばず、
傍系男子を選んだのではないかと。
私は感じました。
どうして口伝があったと思うのか?
そういった口伝がなかったら
とっくの昔に
万世一系
途切れていると思いますよ。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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