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リートリンの覚書

東京史跡巡り 品川宿


東京史跡巡り

品川宿
(しながわしゅく)



品川宿は、東海道五十三次の宿場の一つで、東海道の第一宿です。

西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わっていました。



「東海道品川宿」
「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。
 旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え宿内の家屋は一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた。
 今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。



階段石垣の名残

 江戸時代の東海道は、品川宿に入ると海に近くなり、宿場通りから海岸通りの方へ行く横丁は、全て坂になっていました。
 昔の海岸線には護岸のための石垣が築かれていました。
江戸時代には、ときどき波浪によってこの石垣が壊され、宿場にとって修復は大変負担となりました。



東海道品川宿の石垣石

この花壇に使用されている石材は、品海公園北隣の民家の基礎として使われていたものです。
かつて東海道品川宿の街道筋の土留めと目黒川の護岸を兼ねた石垣として組まれていました。
石材は千葉県鋸山の凝灰石(房州石)であり、幕末から明治時代の加工と考えられます。
品川宿の護岸は、もともと伊豆半島産の安山岩(伊豆石)で構築されていましたが、江戸時代後期に房州石が加わるようになります。
房州石は産地も近く、柔らかく切り出しやすい石質のため、次第に伊豆石に取って代わっていきました。
海に接していた品川宿の歴史を伝える貴重な文化財です。
平成二十九年九月


所在地

東京都品川区


最後に

以前、旧東海道をテクテクと散策したのですが、

品川宿の名残はほぼなく、各地にある説明書きから読み取れるだけとなっていました。






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