リートリンの覚書

縄文時代・縄文人の特異性 その2 土器


縄文人の特異性その2・土器

縄文土器は
世界のどこにも例を見ないほど
凝った作りをしています。

種類が多いとか、
仕上げが丁寧とかいった
レベルではありません。

とりわけ注目すべき点は、
“突起を持つ”ことです。

容器に突起は不必要なものです。
はっきり言えば邪魔なものです。

古今東西、
縄文土器を除いて
容器にここまで派手な突起を着けている
土器は何処にもありません。

縄文土器。
それは突起の文化といっても
過言ではありません。

縄文土器は縄文文化の産物であり、
土器の分布は縄文文化圏に一致します。

朝鮮半島にも樺太にも
日本の黒曜石は伝わっていました。

しかし、
彼らの作る土器は突起を持ちませんでした。



“突起の楽しみを共有できる人々が宗谷海峡と対馬の西水道の向こうにはいなかったのだ。彼らは互いに互いに違う世界観に生きていた。それが今日の国境と一致しているのは偶然のことだろうか。”
引用:入門 縄文の世界 監修小林達雄

感想

以前、
東京国立博物館で開催された縄文展で、
他の地域で作られた土器を
見たことを思い出しました。

その際、感じたことは、

絵が描いてあるけど、
シンプルすぎて…

つまんねー土器だなぁ、です。

縄文土器はいつ見ても、
胸がドキドキ高まります。

しかし、
縄文土器だけに
突起がついているとは
知りませんでしたよ。

”突起の楽しみを共有できる人々”

小林氏がいう突起の楽しみとは?

そして、何故

”縄文土器には突起がついているのか?”

自分なりに考えてみました。
(今日の感想は、厨二病的です😅)

縄文時代を詳しく調べてみると、
以前調べたスウェーデンボルグ の
古代人の宗教についてを思い出しました。

原始人のなかでも
高度な宗教段階に達した人々は
現代人よりもずっと宗教的だった。

人々は心の奥深くで、
神を直観的に知り、
家族や氏族単位の
相互愛の共同社会を営んだ。


まさに、
縄文人のことを言っているように感じます。

縄文人は、
神が作り出した
この世界のものたちから発する
オーラ(エネルギー)
を見ることができたのでは?
(胡散臭くてごめんなさい😅)

それを表現したのが、
縄文土器ではないかと自分は思うのです。

その土器で、
神からの授かった食糧を
調理して食べる。

縄文人に取って調理とは、
大切な儀礼だったのではないでしょうか?
(毎日、イオマンテみたいな)

・命をいただいたものに対して感謝し、
神の元へと送り返す儀式として。

・食糧(他のものの命)と共に生きる為の儀式。

その儀礼に必要だったのが
縄文土器ではないかと。
(ますます、胡散臭くなってきましたよ)


縄文土器をじっと観察してみると。
何か似たような物を
見た事があると思いました。


そう、ゴッホの絵。

渦巻き、似ていると思いませんか?

ゴッホも縄文人と同じ世界が
見えたのではないかと思いました。


出典:みどり市岩宿博物館ホームページ

人は、何かに真剣に取り組み、
道を極めると
別の世界へと繋がりやすくなると聞きます。


もしかすると、
北斎もそのように
見えていたのかもしれませんね。

いつか、
縄文人の見ていた世界が見られたらいいなぁ。

遠い昔。
全ての人々は、
縄文人のように心の奥底で
神を感じとっていたと思うのです。

しかし、
時が経つについて、
大陸で農耕が始まり、
人々は、

自然を征服していく動きに向かいました。

そして、
大陸の人々は神から離れていった…

大陸から離れた日本列島。
そこで暮らしていた、
縄文人は自然と共存する道を選びました。

その縄文人の心が今もなお、
連綿と受け継がれ、
我々の中に生きていると思うのです。

それが、
国境に現れているのでは、
ないでしょうか?

神から離れた人々が、
自然を敬い感謝をすることを思い出せば
いつしか、再び神とつながり、

神の元、
人々が平等となり、
国境がなくなるかも知れませんね。

間に合うといいですね。
(間に合って欲しい😣地球sos出してますよ、早く気付いて)

今日は胡散臭い
お話になってしまいましたが😅

最後まで読んで
頂きありがとうございます。

明日も、
縄文時代を詳しく調べてみたいと思います。
では、また。




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