リートリンの覚書

日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 一 ・出自



日本書紀 巻第十七

男大迹天皇(をほどのすめらみこと)

継体天皇(けいたいてんのう)

・出自



男大迹天皇は、

(更の名は彦太尊(ひこふとのみこと))

誉田天皇(ほむたのすめらみこと)の
五世の孫で、
彦主人王(ひこうしのおう)の子です。

母は振媛(ふるひめ)といいます。
振媛は、
活目天皇(いくめのすめらみこと) の
七世の孫です。

天皇の父は、
振媛が、
顔容が妹妙(きらぎらし)くて、
甚だうつくしい色があると聞いて、

近江国高島郡の
三尾の別業(べつぎょう)から、
使いを遣わして、

三国の坂中井(さかない)で
結納して妃としました。

遂に、
天皇を産みました。

(中はこれは那(な)といいます)

天皇が幼年で、
父王が薨じました。

振媛はすなわち嘆いて、
「妾は、今。
遠く桑梓(もとつくに)から離れています。

どうしてよく
膝養(ひだしたてまつ)ることが
できましょうか。

余は、
高向(たかむこ)に
帰寧(おやとぶら)いがてら、

天皇を奉養(ひだしたてまつ)りましょう」
といいました。

(高向は越前国の邑の名です)

天皇は、
壮大(おとこざかり)になると、
土(ひと)を愛しみ、
賢(さかしき)に礼して、
心がひろく心が豊かでした。



・近江国高島郡
滋賀県高島町辺
・別業(べつぎょう)
別荘
・三国
福井県坂井郡三国町辺
・桑梓(もとつくに)
=そうし・父母を思うこと。また、ふるさと。故郷
・膝養(ひだしたてまつ)
養う
・高向(たかむこ)
現在の坂井市の旧丸岡町域
・帰寧(おやとぶら)
=きねい・婦女が里帰りして父母の安否を問うこと



(感想)

継体天皇は、
(更の名は彦太尊)
応神天皇の五世の孫で、
彦主人王の子です。

母は振媛といいます。

振媛は、
垂仁天皇の七世の孫です。

天皇の父は、
振媛が、容姿が輝いて、
大変美しい色香があると聞き、

近江国の高島郡の三尾の別荘から、
使者を派遣して、

三国坂中井で結納して妃としました。
やがて、天皇を産みました。

天皇が幼年の頃、
父王が薨じました。

振媛は嘆いて、
「私は、今。
故郷から遠く離れています。

どうして、
よく養うことができましょうか。

私は、
高向に里帰りして
父母の安否を問うがてら、

天皇を養い奉りましょう」
といいました。

天皇は、
壮年になると、
人を愛しみ、

賢を礼遇して、
心が広く、

そして、
心が豊かでした。

今日から、
継体天皇の条を
読んでいきたいと思います。

お付き合い頂けたら幸いです。

さて、
武烈天皇が崩御され、
神武天皇直系の男性が途絶えてしまいました。

とはいえ、
直系の女子は残っています

何故、
先人たちは、
女性天皇という道を選ばなかったのか?

そして、
当時、公の頂点にいた、
大伴金村、物部麁鹿火、許勢男人らは、

何故、
自ら天皇になろうとしなかったのか?

直系の女子と婚姻関係になれば、
自らが天皇になれる、

もしくは、
子孫が天皇になることができるのに。

わざわざ神武天皇傍系の男性を探し出し、
天皇に選んだのか?

これは、
大きな疑問です。

この条を読んだら
疑問が解けるのでしょうか?

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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