リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 四十四 ・渟中倉太珠敷尊を皇太子に立てる ・百済、使者を派遣する



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 四十四

・渟中倉太珠敷尊を皇太子に立てる
・百済、使者を派遣する



十五年春正月七日、
皇子・渟中倉太珠敷尊
(ぬなくらのふとたましきのみこと)
を立てて皇太子としました。

九日、
百済は、
中部木刕施德文次
(ちうほうもくらせとくもんし)、
前部施德曰佐分屋
(ぜんほうせとくおさぶんおく)等を
筑紫に遣わして、

内臣(うちのおみ)と
佐伯連(さえきのむらじ)等に
諮(はか)って、
「德率次酒(とくそちししゅ)、
杆率塞敦(かんそちそくとん)等は、

去年の閏月四日に到来し、
『臣等は来年正月に到る』
といいました。
(臣等とは内臣のことです)

このようにいいましたが、
未審(いぶかし)。
来るのかどうか。

また、
軍数はどのくらいなのでしょうか。

願わくは、
若干(そこら)を聞いて、

あらかじめ
営壁(いほりそこ)をととのえましょう」
といいました。

別に諮(はか)って、
「まさにききました。

可畏天皇(かしこきすめらみこと)の
詔をうけたまわって、

筑紫に詣でて、
賜った軍を見送ると。

これを聞いて、
歓喜は比べようもありません。

今年の役は、
前より甚だ危ないのです。

願わくは、
賜った軍を遣わして、
正月に間に合わせてほしいのです」
といいました。

ここにおいて、
内臣は、
勅を奉じて返答して、
「ただちに、
助けの軍の数を一千、
馬を百匹、
船を四十隻、
遣わそう」
といいました。



・未審(いぶかし)
1・詳しくわからない2・いったい、そもそも、他人にものを尋ねる時に使う言葉
・営壁(いほりそこ)
屯営



(感想)

欽明天皇15年春1月7日、

皇子・渟中倉太珠敷尊を立てて
皇太子としました。

9日、
百済は、

中部木刕施德文次
前部施德曰佐分屋らを筑紫に派遣して、

内臣と佐伯連等に諮(はか)って、

「德率次酒、杆率塞敦らは、

去年の十一月四日に到来し、
『内臣らは、来年正月に到着する』
といいました。

このように言いましたが、
未審(いぶかし)…
来るのでしょうか

また、
軍勢の数はどのくらいなのでしょうか?

願わくは、
若干の数を聞いて、
前もって屯営を整えたいと思っています」
といいました。

別に諮(はか)って、
「まさに聞きました。

可畏天皇(かしこきすめらみこと)の
詔をうけたまわって、

筑紫に詣でて、
賜った軍を見送ると。

これを聞いて、
歓喜は比べようもありません。

今年の戦役は、
前より甚だ危ないのです。

願わくは、
賜った軍を遣わして、
正月に間に合わせてほしいのです」
といいました。

ここにおいて、内臣は、
勅を奉じて返答して、
「ただちに、
助けの軍の数を一千、
馬を百匹、
船を四十隻。
派遣しよう」
といいました。

明日に続きます。

読んで頂き
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