リートリンの覚書

古事記 上つ巻 現代語訳 六十九 豊玉毘売命との別れ


古事記 上つ巻 現代語訳 六十九


古事記 上つ巻

豊玉毘売命との別れ


書き下し文


尓して豊玉毘売命、其の伺ひ見たまひし事を知り、心に恥づかしと以為ひぬ。其の御子を生み置きて、白さく「妾、恒に海つ道を通り、往来はむと欲ひき。然れども吾が形を伺ひ見たまひしこと、是れいたく作し」とまをす。海坂を塞ぎて、返り入りましき。是を以ちて其の産れませる御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂ふ。然れども後は、其の伺みたまひし情を恨むれど、恋ふる心に忍へず、其の御子を治養しまつる縁に因り、其の弟、玉依毘売に附けて、歌を献る。其の歌に曰く、

赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり 

尓して其のひこぢ答へ歌ひ曰りたまはく、

沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに 

故、日子穂穂手見命は、高千穂宮に坐すること、伍佰捌拾歳。御陵は高千穂の山の西に在り。



現代語訳


尓して豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、その伺い見た事を知り、心に恥ずかしいとおもいました。その御子を生み置いて、いうことには、「妾は、恒に海つ道を通り、往来しようと思っていました。然れども吾が形を伺い見てしまった、これ、いたくはずかし」と申しました。海坂(うなさか)を塞いで、返り入りました。これをもちて、その産みになられた御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひたかひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)と謂う。然れども後は、その伺った情(みこころ)を恨みましたが、恋しい心をしのぶことができず、その御子を治養(ひた)しまつる縁により、その弟、玉依毘売(たまよりびめ)に附けて、歌を献りました。その歌に曰く、

赤玉は 緒さへ光れど 
白玉の 君が装し 貴くありけり 

尓して、そのひこぢ答え歌い、いうことには、

沖つ鳥 鴨著く島に 
我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに 

故に、日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)は、高千穂宮に坐(いま)すること、伍佰捌拾歳。御陵(みささぎ)は高千穂の山の西に在ります。



・海坂(うなさか)
海神の国と人の国とを隔てると信じられていた境界。海のさかい。海の果て
・治養(ひた)
1日ずつ日を足して成長させる意
・赤玉(あかだま)
琥珀の古称
・白玉
白色の美しい玉。また、真珠。愛人や愛児をたとえていうこともある
・ひこぢ
「ひこ」は夫。「ぢ」は男性への敬意を表す枕詞
・沖つ鳥
沖にいる水鳥の意から「鴨 (かも) 」にかかる枕詞
・御陵(みささぎ)
天皇・皇后・皇太后・太皇太后の墓


現代語訳(ゆる~っと訳)


こうして、豊玉毘売命は、火遠理命に覗き見されたことを知り、心に恥ずかしいと思いました。

その御子を生んだまま置いて、
「私は、いつまでも海の道を通り、行き来しようと思っていました。しかし、私の本来の姿を覗いて見られたこと、これは、たいへん恥ずかしい」といいました。

そして、海神の国と人の国とを隔てる境界を塞いで、帰り入りました。

こういうわけで、その産みになられた御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命といいます。

しかしながら後は、火遠理命が覗き見なさった御心を恨みましたが、恋しい心に耐え切れず、その御子を養育するという縁を頼りに、妹・玉依毘売に添えて、歌を献上しました。その歌にいう、

琥珀の玉は 通したひもさえも光りますが 
真珠のような あなたの姿こそ 高貴でありましょう 

これに、その夫が答えて歌い、仰せになられ、

(沖の鳥の) 鴨が舞い降りる島に 
私が添い寝した 妻のことは忘れない 
命ある限り 

この日子穂穂手見命は、高千穂宮に580年おいでになられました。御陵は高千穂の山の西にあります。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。



前のページ<<<>>>次のページ




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「古事記・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事