リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 七 ・摩理勢臣、大臣に叛く



日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 七

・摩理勢臣、大臣に叛く



既に大臣は、
阿倍臣(あへのおみ)、
中臣連(なかとみのむらじ)に伝え、

更に境部臣(さかいべのおみ)に問いかけ、
「誰の王が天皇になるべきか」
といいました。

答えて、
「先に、
大臣が自ら問いかけた日に、
僕はすでに申し終えております。

今、
何を更に、
また伝え申しましょうか」
といいました。

乃ち、
大いにいきどおり、
起きて行ってしまいました。

この時にたまたま、
蘇我氏の諸族等はことごとく集まり、
嶋大臣のために墓を造り、
次の墓所にやどりました。

ここに、
摩理勢臣(まりせのおみ)が
墓所の廬(いおり)を
壤(つちくれ)にして、

蘇我の田家(たどころ)に退き、
仕えませんでした。

時に、
大臣はこれにいきどおり、

身狹君勝牛
(むさのきみかつし)、
錦織首赤
(にしこりのおびとあかい)を遣わして、

教えさとして、
「吾は、
汝が言うことに
非があることを知っているが、

干支の義をもって、
害することができない。

ただ、
他が非で汝が是なら、

我は必ず、
他にさからい汝に従おう。

もし、
他が是で汝が非なら、

我は当然、
汝に背き他に従うだろう。

ここをもちて、
汝がついに従わないことがあれば、
我と汝との間いはきずがある。

則ち、
国また乱れてしまう。

然るに、乃ち、
後生に吾二人が国を破ったと言うだろう

これ後葉の悪名である。

汝は慎みを持って、
逆心を起こさぬように」
といいました。

然るに、
なおも従わず、

ついに斑鳩に赴き、
泊瀬王宮に住みました。



・摩理勢臣(まりせのおみ)
=境部摩理勢(さかいべのまりせ)は、飛鳥時代の豪族。蘇我稲目の子、馬子の弟(一説に馬子の従弟ともいう)。正しくは蘇我境部臣摩理勢。軽の境部(現在の橿原市白橿町、または大軽町)に居住したために境部臣と呼ばれた。
田家(たどころ)
田荘に同じ
律令国家成立以前の豪族の土地領有地をいう。荘は田地の経営に必要な倉庫や建物のある一画をさす。天皇・皇族の所有地を屯倉(みやけ)とよぶのに対して、用いられたもの。
・干支の義
親族の情義



(感想)
前回のお話



既に大臣は、
阿倍臣、
中臣連に伝え、

さらに境部臣に問いかけ、
「誰の王が天皇になるべきか」
といいました。

答えて、
「先に大臣が、
自ら問いかけた日に、
私はすでに申し終えております。

いまさらどうして、
また伝え申しましょうか」
といいました。

乃ち、
大臣は、
大いに憤り、

立ち上がり
出て行ってしまいました。

境部臣は、
馬子の弟(一説に馬子の従弟とも)です。

以前、大臣は

境部臣に
「誰の王が天皇になるべきか」
と質問し、

境部臣は、
「山背大兄を天皇を推挙して
天皇にしましょう」
と答えています。


大臣としては、
親戚同士、
意思を共にしてほしかったのでしょう。

しかし、
境部臣の意志は変わらず、
対立は深まるばかりとなってしまいました。

この時にたまたま、
蘇我氏の諸族らはみな集まり、

蘇我馬子大臣のために墓を造り、
墓所に泊まっていました。

ここに、
境部摩理勢が
墓所の廬(いおり)を破壊して、

蘇我のじぶんの田家に退き、
仕えませんでした。

この時、
大臣はこれに憤り、

身狹君勝牛、
錦織首赤を派遣して、

教えさとして、
「私は、
お前が言うことに
非があることを知っているが、

親族の情義をもって、
害することができない。

ただ、
他が非でお前が是なら、

私は必ず他にさからい汝に従おう。

もし、
他が是でお前が非なら、

私は当然お前に背き他に従うだろう。

こういうわけで、
お前がついに従わないことがあれば、

私とお前との間いは
隔たりがあることになる。

つまり、
国また乱れてしまうだろう。

後生に我々二人が
国を破ったと言うだろう。

これ後世の悪名である、

お前は慎みを持って、
逆心を起こさぬように」
といいました。

しかし、
なおも従わず、

ついに斑鳩に赴き、
泊瀬王宮に住みました。

さらに対立が深まった
大臣と境部臣。

今後はいかに。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事