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リートリンの覚書

天皇とは? 皇室と古式馬術


皇室と古式馬術


皇居内には
厩舎(きゅうしゃ)と馬場があります。

宮内庁車馬課主馬(しゅめ)班により、
馬の飼育・調教が行われています。

この馬たちは主に、
ご慶事などの儀式用として、

また、
国賓や在日外交団などの
接遇や伝統文化を守るために
重要な役割を担っています。

なかでも
「母衣引(ほろひき)」、
「打毬(だきゅう)」
という古式馬術に使われるのは、
宮内庁の馬ならではといえるでしょう。

明治2年(1869)、
訪日したイギリスのエドワード皇太子を
もてなすために、

赤坂の紀州徳川家庭園で
「打毬」が披露されたという記録が
残っています。

長い歴史の中で廃絶に
瀕したこともあった古式馬術ですが、

明治期に、
国際親善の一環として、
現在に至るまで
大切に保存・伝承されてきたのです。


打毬(だきゅう)


紀元前6世紀から5世紀にかけて
古代ペルシャで生まれ、

日本には8~9世紀に
伝わったといわれています。

西に流れたものがヨーロッパに
伝わり「ポロ」となりました。

一方、
東に流れたものが中国で打毬となり、
8~9世紀頃、
我が国に伝わったようです。

奈良・平安時代には、
宮中行事の
「端午(たんご)の節会(せちえ)」の際、
行われる宮中の年中行事となりましたが、

一度、
廃退・廃絶しましたが。

その後、
江戸時代に徳川吉宗が復興しました。

現在も、
宮内庁主馬班にて、
江戸時代(中期頃)最盛期における様式の
打毬が保存されています。

出典:Wikipedia

打毬では騎手は、
陣羽織に袴、手甲、足袋に陣笠姿で行います。
出典:宮内庁HP

地面に置かれた
紅白の毬をすくい、

毬門(きゅうもん)という
一つの穴に入れる競技で、

紅白4~5騎ずつに分かれ、
先に11個に入れた方が勝ちとなります。
出典:宮内庁HP


母衣引(ほろひき)


春を表す、白と緑。
出典:宮内庁HP

秋を表す、白と赤に染められた、
出典:宮内庁HP

長さ約10mの布である
「母衣(ほろ)」と呼ばれる吹き流しを、

「序(じょ)」、
「破(は)」、
「急(きゅう)」
の3段階の馬の速度に合わせて
伸ばして行き、
地面に着かないようにたなびかせます。

由来は諸説ありますが、

「母衣」は、
平安時代から室町時代、
戦場で矢が当たらないように
身を守るために使われた武具、

あるいは戦袍(マント)として
用いられたものであろうと言われています。

戦のなくなった江戸時代(中期)には
「母衣」を引くことが、
様式美を表す馬術として
確立したと言われています。

出典:Wikipedia

現在、
宮内庁主馬班が伝承している母衣引は、
この時代のものです。

母衣引では、
右前脚と右後脚を一緒に出し、
次に左前脚と左後脚を一緒にだす、
「側対歩(そくたいほ)」という
独特の方法で馬を走らせます。

側対歩は、
馬の揺れが少ないのが特徴です。

騎手は紋付・袴・白足袋姿で、
母衣引を行います。


感想

古式馬術、
打毬と母衣引。

今回初めて知りました。

打毬を調べていた際、
参考にしている本に道具が記載していました。

第一印象は、
服装が和風なだけで
ほとんどポロ。
(まぁ、元が同じですからね)

打毬の写真を探してみると、
青森県の打毬の写真が多い。

こちらは、
緑豊かな場所での戦いで

より、
リアルに当時の様子を伺わせる
、と喜んでいたら…

バックに車が数台、
現実に引き戻された😅

母衣引もカッコイイですね。

やはり、馬はイイ🐴

実際にこの目で見てみたいと思いました。

どちらの競技も
江戸時代に復興されたもの。

やはり、
日本の文化が花開くのは、
鎖国をしている時ですね。

平安時代、江戸時代。

現代は、
グローバルな世界ですから。
鎖国は難しいとは思うけど。

しかし、
コロナのことがあるし、
プチ鎖国してくれないかなぁ。
(日本文化が花開くかもよ。)

しかし…

有職紋様、菊の御紋、雅楽、打毬と
皇室が大切に守ってきた物の
ルーツを辿ると、

古代ペルシャに行き当たるのは、
何故でしょうね🧐

意図して、
古代中東から渡ってきた物を
選び残してきたような
気がするのは、
自分だけでしょうか?
(懐かしいと思い好んでいたりして…)

さて、今日はこれで。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


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