リートリンの覚書

天皇とは? 四方拝・歳旦祭


四方拝
(しほうはい)


1月1日

早朝に天皇陛下が神嘉殿南庭で
伊勢の神宮、山陵および四方の神々を
ご遥拝になる年中最初の行事です。


四方拝の様子


元旦の午前4時30分、
天皇陛下は新年最初の祭祀のため、
御所をあとにされます。

陛下が向かうのは、綾綺殿。

この建物は、
天皇皇后両殿下が祭典に出御される際、
お召し替えをし、
御服装を整えるための御殿です。
この綾綺殿を使われるのは
天皇皇后両陛下だけです。

元旦の午前5時30分、
綾綺殿で
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を
召された天皇陛下は、

侍従が脂燭(ししよく)で
お足許を照らすなか、

宮中三殿と棟続きの
神嘉殿(しんかでん)の前庭に
降り立たれます。

天皇陛下はこれから、四方拝に臨まれます。

前庭には荒薦(あらごも)が
あらかじめ敷かれており、
その上に、白布、真薦(まごも)、
蘭薦(らんごも)を重ね、
さらにその上に御座(ぎょざ)が
設けられています。

そこには、
二基の燭台が前方に置かれ、
伊勢の方角だけが開いた
二双の屏風で囲ってあります。

御座に着かれた天皇陛下は、

最初に
伊勢の方に向かい遥拝された後、

今度は
東、南、西、北の順に
四方の神々に遥拝されます。

これが「四方拝」です。

四方拝は
平安時代初期に始まったとされていますが、

明治以前と以後では
遥拝の対象が大きくかわりました。

現代のように
伊勢神宮と四方の神々を
遥拝されるようになったのは、
明治の中頃でした。

しかし、
黄櫨染の御袍を召された陛下が、
屏風で囲まれた御座から遥拝される所作は、
昔のまま続いています。


歳旦祭
(さいたんさい)


1月1日
早朝に三殿で行われる年始の祭典です。


歳旦祭の様子


四方拝の儀を終えた天皇陛下は
掌典(しょうてん)長の御先導で、

神嘉殿から宮中三殿に入られ、
賢所、皇霊殿、神殿の順に
「誕旦祭(さいたんさい)」
を執り行われます。

陛下はまず賢所の内陣に御座に着座され、
掌典長から玉串を受け取り、
それを持ち拝礼された後、

内掌典(ないしょうてん)が
御鈴を鳴らしている間、
平伏されます。

皇霊殿・神殿でも同じように拝礼されます。

天皇陛下の三殿の御拝礼が終わると、
今度は黄丹袍(おうにのほう)を
召された皇太子殿下が、

やはり掌典長の御先導で、
賢所、皇霊殿、神殿と廻られ、
天皇陛下とまったく同じ所作で拝礼されます。

誕旦祭は小祭に含まれ、
天皇陛下と皇太子殿下のほかは
各皇族方の参拝はありません。

四方拝のあと
宮中三殿に拝礼されるようになったのは
明治六年(1873)1月1日からです。


感想

参考にさせていただいた本が
ちょっと古いもので…

今は、
皇嗣である秋篠宮親王殿下が
天皇陛下の後、
誕旦祭に臨まれているのかな?
ちょっと資料が無く
分からないです。

この辺は、
新しいことが分かり
次第改訂させていただきますね。

さて、
元旦の朝、午前4時30分。

まだ、
夜明け前の暗闇の中、
天皇陛下は祭儀の為、
綾綺殿へ向かわれるのですね。

自分、
その時間は…

大晦日夜、
実家で久しぶりに家族が集まって宴会して、
テレビを見て、
年越し蕎麦を食べて、
年が明けるまでみんなでワイワイ。

それから、
グッスリ8時過ぎまで寝ている…

そんなぐーたらしている時間に、

一月の寒い季節に

黄櫨染御袍をお召しになり…

いくら、寒くても…
ヒートテックみたいな下着は着られませよね。

神嘉殿の前庭。
地面に敷物を敷き、
屏風だけで囲われた空間に
お座りになり、

地べたに敷き物、座布団、
近代的なコート類無し、
うー、想像しただけで、寒い🥶

陛下は、
国、国民の為に
伊勢、そして国中の神様に
拝礼されているのですね。

本当に申し訳ない🙇‍♂️

来年の元旦は、
心を入れ替えて臨みたいです。

それでは、今日はこれで。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。






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