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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第97景 「堀江ねこざね」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景を訪ねて
第97景 「堀江ねこざね」


作品の中央を流れる川は「境川」。その左側の集落が堀江村、右側が猫実村です。

木々に囲まれた建物は、豊受神社。

川に架かる橋。手前の橋は境橋です。奥に架かる橋は、新橋と思われます。

その奥に見える船の帆柱は、河岸場(船着き場) 辺りです。

遠景の山は富士山と丹沢山塊。

近景には無双網の猟の様子が描かれています。


堀江村


現在の千葉県浦安市堀江です。

江戸川河口左岸の三角州、境川以南の先端部までを領域とし、さらに右岸側の中州も村内に組み込んで「堀江新田」として開発されました。

鎌倉時代に、地内に小さな港が作られたことから「堀江」となったといわれています。


猫実村


現在の千葉県浦安市猫実です。

室町時代より下総国八幡荘の「猫実」としての当地の名前が見られます。

江戸時代に「猫実村」となり、江戸時代には塩田が存在していました。

鎌倉時代に、大津波で大きな被害を受けた集落の人達が豊受神社付近に堤防を築き、その上に大きな松の木を植え、この松に根を波浪が越さないように願い、「根越さね」と言われた。それが「猫実」と称されるようになったと言われています。


豊受神社



豊受神社は、千葉県浦安市猫実にある神社です。

浦安市では最古の神社です。


境川
(さかいがわ)



千葉県浦安市を流れ東京湾に注ぐ一級河川。利根川水系旧江戸川の分流です。

左岸の猫実(ねこざね)村と右岸の堀江村の境界をなすことから名付けられました。



境川(さかいがわ)
昭和三十三年(一九五八)、準用河川として指定
昭和四十年(一九六五)、一級河川として指定

 境川は、江戸川の支流で、本市の中央を西から東へ流れ、東京湾に注いでいます。
 かつての境川は、長さ一・七キロメートルほどの小さな川でしたが、昭和四十年(一九六五)から海面埋立事業によって、川の長さも三倍の約四・八キロメートルになりました。
 江戸時代には、人々は境川の両岸に密集して民家を建て、北側が猫実村、南側が堀江村として、それぞれ集落を発展させてきました。
 川の水は、昭和二十年代ごろまでは、川底が透けて見えるほど美しかったといいます。人々は、長い間この川の水を飲み水や炊事洗濯などの生活用水として利用してきました。
 また、漁業を生業としていた人々にとって、境川は「海への玄関口」として大切な役割を果たしていました。かつては、二千艘近くの船がびっしりと係留されており、とってきた魚介類を荷揚げする光景があちらこちらでも見られました。
 しかし、昭和四十六年(一九七一)い漁業権が全面放棄されると、それらの船は役目を終えて姿を消していきました。こうして、境川の風景も次第に漁師町の面影を失っていきました。

平成十六年一月
浦安市教育委員会


境橋





千葉県浦安市を流れる境川に架かる橋です。


新橋



千葉県浦安市を流れる境川に架かる橋です。


無双網
(むそうあみ)


おとりや餌で寄せた獲物に猟者が綱を引き網を起こしてかぶせる猟法です。



描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。



境橋と境川を撮影してみました。



最後に

境橋と境川を一緒に撮影しようとすると、豊受神社方面が写らない。


豊受神社方面を撮影すると、境橋が写らない。

川の流れが変わっているようなので、作品と同じ構図にするのは難しいようです。





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅

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