リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 二十九 ・粛慎隈



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 二十九

粛慎隈



十二月、
越国が、
「佐渡島の北の御名部(みなべ)の崎の岸に、
粛慎人(みしはせのひと)が有って、
一つの船舶に乗って
淹留(えんりゅう)しています。

春夏は魚を捕って食に充てています。

かの島の人は、
人ではないと言っています。

また、
鬼魅(おに)と言って、
敢えて近づきません。

島の東の禹武邑(うむのさと)の人が、
椎子(しい)を採取し、
熱してから食べようとしました。

灰の中において火であぶりました。

その皮が、
ふたりの人に化けて、
火の上に一尺余り、
飛びあがりました。

時を経て、あい闘いました。

邑人は、
深くあやしいとおもい、
庭に取り置きました。

また、
前のように飛びあがって、
あい闘い、
途中でやめることがありませんでした。

占う人が有り、
『この邑の人は、
かならず魅鬼のために
迷惑(まど)わされるでしょう』
といいました。

久しくたたないうちに、
言葉の如く、
抄掠(しょうりゃく)を被りました。

ここにおいて、
粛慎人は、
瀬波河浦(せなかはのうら)
移って行きました。

浦の神は霊威が厳しく、
忌まわしいと、
人は敢えて近づきませんでした。

喉が渇き、
その水を飲み、
死ぬ者が半になろうとしていました。

骨(かばね)は、
巖岫(いはほのくき)に積みました。

俗は、
粛慎隈(みしはせのくま)と呼びました」
といいました。



・淹留(えんりゅう)
長く滞在すること
・椎子(しい)
椎の実
・一尺余り
30㎝ほど
・抄掠(しょうりゃく)
かすめとること
・巖岫(いはほのくき)
神聖な岩穴



(感想)

(欽明天皇5年)

十二月、
越国が、
「佐渡島の北の御名部の崎の岸に、
粛慎人がいて、
一つの船舶に乗って長く滞在しています。

春夏は魚を捕って食に充てています。

かの島の人は、
粛慎人を人ではないと言っています。

また、
鬼魅(おに)と言って、
敢えて近づきませんでした。

島の東の兎武邑(うむのむら)の人が、
椎の実を採取し、
熱してから食べようとしました。

灰の中において火であぶりました。

その皮が、
二人の人に化けて、
火の上に一尺余り、
飛びあがりました。

時を経て、戦い合いました。

邑人は深く、
あやしいと思い、
庭に取り置きました。

また、
前のように飛びあがって、
戦い合いました。

それは、
途中で止むことがありませんでした。

占う人がいて、
『この邑の人は、
かならず魅鬼のために
迷惑(まど)わされるでしょう』
いいました。

久しくたたないうちに、
言葉の通り、
掠め取られる被害をうけました。

ここにおいて、
粛慎人は、瀬波河の浦に移って行きました。

この浦の神は霊威が厳しく、
忌まわしいと、
人は敢えて近づきませんでした。

喉が渇き、
その浦の水を飲み、
死ぬ者が半になろうとしていました。

骨(かばね)は、
岩穴に積み重なりました。

土地の人は、
粛慎隈と呼びました」
といいました。

不思議なお話でしたね。

明日に続きます。

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