リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十六 ・高麗の使者、難波館に到着する ・初めて漏剋を作る



日本書紀 巻第二十六 
天豊財重日足姫天皇 十六

・高麗の使者、難波館に到着する
・初めて漏剋を作る



夏五月八日、
高麗の使人の
乙相賀取文(おつそうがすもん)等が、
難波館(なにわのむろつみ)に到ました。

この月、
有司は、勅を奉じて、
百の高座、
百の納袈裟(のうけさ)を造り、
仁王般若の会を設けました。

また、
皇太子は初めて、
漏剋(ろうこく)を造り、
民に時を知らせました。

また、
阿倍引田臣(あへのひけたのおみ)
(名を欠く)は、

夷(えみし)五十余りを
献(たてまつ)りました。

また、
石上池(いそのかみのいけ)の辺りに
須彌山を作りました。
高さは廟塔(びょうとう)の如く。

粛慎(みしはせ)、
四十七人を饗(もてな)しました。

また、
国を挙げて百姓が、
故も無く、
兵(つわもの)を持ち、
道を往還(おうかん)しました。

(国老は言う、百濟国が所を失う相であると)



・納袈裟(のうけさ)
僧の法衣
・漏剋(ろうこく)
水時計。 水を入れた幾つかの容器から漏れ落ちる水を下の容器に受けて、その中に立てた矢の目盛りによって時を計る装置
・石上池(いそのかみのいけ)
現・奈良県天理市石上
・廟塔(びょうとう)
仏像などを安置するみたまやの塔
・粛慎(みしはせ)
異民族
・兵(つわもの)
武器
・往還(おうかん)
道を行き来すること。往復。往来



(感想)

(斉明天皇6年)

夏5月8日、
高麗の使者の乙相の賀取文らが、
難波館に到着しました。

この月、
有司は、
勅を奉じて、
100の高座、100の僧の法衣を造り、
仁王般若の会を設けました。

また、
皇太子は初めて、
水時計を造り、
民に時を知らせました。

また、
阿倍引田臣は、
えみし、50人余りを献上しました。

また、
石上池の辺りに須彌山を作りました。
高さは廟塔ほどです。

異民族、47人を饗応しました。

また、
国を挙げて百姓が、
わけも無く、
武器を持ち、
道を行き来しました。

(国老は言う、百済国が所を失う凶相であると)

明日に続きます。

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