リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十九 ・天皇、病に伏す ・皆既日蝕が起こる ・天皇の遺言 ・雹が降る ・天候不順が続く ・葬礼



日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十九

・天皇、病に伏す
・皆既日蝕が起こる
・天皇の遺言
・雹が降る
・天候不順が続く
・葬礼



三十六年春二月二十七日、
天皇が病に臥しました。

三月二日、
日が蝕まれ、すべて欠けました。

六日、
天皇は、痛がはなはだしく、

諱(いむ)ことが
さけられない状態になりました。

すなわち、
田村皇子(たむらのみこ)を召して、
語って、
「天位(たかみくら)に昇り、
鴻基(あまつひつぎ)を
経綸(けいりん)し、

万機(よろずのまつりごと)を統治して、
黎元(おおみたから)を育むことは、

本よりたやすく言うものではありません。
つねに重んじる所です。

故に、
汝は慎んで察しなさい。
軽々しく言ってはいけません」
といいました。

その日、
山背大兄を召し、
教えて、
「汝は肝が稚(いとけな)い。

もし、
心に望んでも、
やかましく言ってはいけません。

必ず、
群の言を待ち、
宣べることに従いなさい」
といいました。

七日、
天皇は崩じました。
(時に年、七十五)

即ち、
南庭で殯(もがり)をしました。

夏四月十日、
雹(あられ)がふりました。
大きさは桃の実の如く。

十一日、
雹(あられ)が降りました。
大きさは李(すもも)の実の如く。

春から夏に至るまで、
旱(ひでり)でした。

秋九月二十日、
始めて天皇の喪礼を起こしました。

この時、
群臣は各々、
殯宮(もがりのみや)で
誄(しのびごと)しました。

これより先に、
天皇は群臣に遣詔して、
「この年ごろ、

五穀は稔らず、
百姓は大いに飢えています。

朕のために
陵(みさざき)を興して、
厚く葬ることがないように。

竹田皇子(たけだのみこ)の陵に
葬るのがよいでしょう」
といいました。

二十四日、
竹田皇子の陵に葬りました。



・田村皇子(たむらのみこ)
後の舒明天皇
・天位(たかみくら)
天皇位
・鴻基(あまつひつぎ)
=こうき・大きな事業の基礎。大業のもとい
・経綸(けいりん)
国家を治めととのえること。 天下を統治すること。また、その施策
・万機(よろずのまつりごと)
すべての政治。天皇の政務。天下の政治
殯(もがり)
本葬まで貴人の遺体を棺に納め仮に安置してまつること。喪の一種とみられ,その建物を殯宮(もがりのみや)という。古代皇室の葬送儀礼では,陵墓ができるまで続けられ,その間,高官たちが次々に遺体に向かって誄(しのびごと)をたてまつった。
誄(しのびごと)
死者を慕い、その霊にむかって生前の功徳などを述べることば。死者に対する哀悼の辞。しぬびごと。るい。るいし。
・竹田皇子(たけだのみこ)
敏達天皇と推古天皇の子



(感想)

推古天皇36年春2月27日、
天皇が病に臥しました。

3月2日、
皆既日蝕がおこりました。

6日、
天皇は、
病痛がはなはだしく、

死ぬことがさけられない状態になりました。

すなわち、
田村皇子を召して、
語って、

「天皇位に昇り、

日の皇子として皇祖の霊を受け継ぎ
天下を統治し、

すべての政治を統治して、
人民を育むことは、

本来、
たやすく言うものではありません。
つねに重んじる所です。

ですから、
お前は慎んで察しなさい。
軽々しく言ってはいけません」
といいました。

その日、
山背大兄を召し、
教えて、
「お前は思慮が幼い。

もし、
心に望んでいても、
やかましく言ってはいけません。

必ず、
群臣の言葉を待ち、
宣べることに従いなさい」
といいました。

7日、
天皇は崩じました。
(時に年、75歳)

すぐに、
南庭で殯(もがり)をしました。

夏4月10日、
雹(ひょう)が降りました。
大きさは桃の実のようでした。

11日、
雹が降りました。
大きさはスモモの実のようでした。

春から夏に至るまで、
旱(ひでり)でした。

秋9月20日、
始めて天皇の葬礼を行いました。

この時、
群臣は各々、
殯宮で誄(しのびごと)しました。

これより先に、
推古天皇は群臣に遣詔して、
「この年ごろ、
五穀は稔らず、
百姓は大いに飢えています。

朕のために陵を作り、
厚く葬ることがないように。

竹田皇子の陵に
葬るのがよいでしょう」
といいました。

24日、
竹田皇子の陵に葬りました。

推古天皇が
聖徳太子亡き後
立太子せずに崩御されました。

今後はどうなるのでしょうか?
気になります。

しかし、
聖徳太子亡き後、

天候不順による飢餓
怪奇現象が続々とおこり、

さらに、
皆既日食がおこり
天皇が崩御された。

と、
不吉なことが続いています。

当時の人々は、
さぞかし不安だったに違いない。

こうまで続くと
呪いと思ってしまうのは
私だけでしょうか。

さて、
明日より

舒明天皇(じょめいてんのう)の条を
読んでいきたいと思います。

お付き合いいただけたら幸いです。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事