リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 十 ・田村皇子、即位する



日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 十

・田村皇子、即位する



元年春正月四日、
大臣及び群卿は、
共に天皇の璽印(みしるし)を、
田村皇子に献(たてまつ)りました。

則ち、辞(ことわ)って、
「宗廟は重事である。
寡人(かじん)は賢くない。

どうして敢えて当たることができようか」
といいました。

群臣は伏して、固請(こせい)して、
「大王は、
先朝(さきのみかど)が
鍾愛(しょうあい)し、

幽顯(かみもひとも)も
属心(しょくしん)しています。

皇統を継ぎ、
万民に光臨してください」
といいました。

卽日、
卽ち天皇に即位しました。

夏四月一日、
遣田部連(名を欠く)
掖玖(やく)に遣わしました。

この年、太歲己丑(つちのとうし)。



・寡人(かじん)
天子や王侯の自称
・固請(こせい)
強く請う
・鍾愛(しょうあい)
あつく寵愛(ちょうあい)すること
・幽顯(かみもひとも)
=ゆうけん・この世とあの世
・属心(しょくしん)
嘱望する
・掖玖(やく)
鹿児島県屋久島



(感想)

舒明天皇元年春1月4日、

大臣および群卿は、
共に天皇の璽印を、
田村皇子に献上しました。

すぐさま、辞退して、
「宗廟は重大事である。
私は賢くない。

どうして敢えて大業に
当たることができようか」
といいました。

群臣は伏して、強く請うて、
「大王は、
先の天皇・推古天皇が
あつく寵愛していました。

神も人も期待を寄せています。

皇統を継ぎ、
万民に光臨してください」
といいました。

その日、天皇に即位しました。

夏4月1日、
遣田部連(名を欠く)を掖玖に派遣しました。

この年、太歲己丑(つちのとうし)。

はて、
群臣に天皇にと懇願されたら、

一度は辞退するのが
通例だったのでしょうか?

だとしたら、
面倒な通例ですね。

さて、
悶着が多々ありましたが、
無事に田村皇子が即位しました。

舒明天皇の御代は
どの様な時代だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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