リートリンの覚書

2・綏靖天皇


第二代・綏靖天皇
(すいぜいてんのう)


欠史八代(けっしはちだい)
実在が疑問視されている天皇のひとり。

生没年 前632~前549年(享年84歳)
在位年 前581(52歳)~549年(84歳)


別名 


神渟名川耳天皇
(かむぬたかわみみのすめらみこと)
神沼河耳命
(かむぬなかわみみのみこと)
建沼河耳命
(たけぬなかわみみのみこと)

漢風諡号である「綏靖」は
「綏」「靖」どちらも「やすらか」
の意味であり、
「綏靖」で「安らかに落ち着く」の
意味になります。




神武天皇
(じんむてんのう)




媛蹈韛五十鈴媛命
(ひめたたらいすずひめ)


兄弟


・腹違いの兄
手研耳命(たぎしみみのみこと)

・同腹兄
神八井耳命(かんやいみみのみこと)


配偶者


皇后・五十鈴依媛(いすずよりひめ)

一書・川派媛(かわまたひめ)
一書・糸織媛(いとりひめ)




磯城津彦玉手看天皇
(しきつひこたまてみのすめらみこと)


略歴


綏靖天皇は、神武天皇の第3子です。
母は、媛蹈韛五十鈴媛命といい、
事代主神(ことしろぬし)の長女です。

綏靖天皇が四十八歳になった時、
父・神武天皇が崩御しました。

腹違いの兄である手研耳命は
臣下でありながら
天皇の威服を手中にしようとしました。

手研耳命は
弟・神八井耳命と綏靖天皇の
暗殺を企てます。

その暗殺計画を知った二人は、
神武天皇の陵の事を終えると、
弓部稚彦らに弓を作らせ
手研耳命を射殺しようと思いました。

たまたま、
手研耳命は大窟(おおむろ)の中で、
ひとり床に臥していました。

そこに、二人は突撃しました。

計画では、
弟・神渟名川耳尊が扉を開き、
兄・神八井耳命が射殺する予定でしたが、

神八井耳命は戦慄を失い手足が震えて、
矢を放つことができませんでした。

そこで、
神渟名川耳尊は、
兄が持つ弓矢を奪い取り、
自ら手研耳命に矢を射りました。

神八井耳命は事を仕損じた事を恥じ、
弟に皇位を譲り、
自らは天神地祇を司り祀り
弟を助けることにしました。

神渟名川耳尊は即位し、
葛城に都を造りました。
これを高丘宮といいます。

綏靖二年、春一月に、
五十鈴依媛を皇后としました。

后は、磯城津彦玉手看天皇を生みました。

綏靖33年夏・五月に病気になり、
崩御しました。享年84歳でした。


日本書紀・現代語訳はこちら


皇居


葛城高丘宮


陵・霊廟


陵の名は
桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)


そのほか


・阿蘇神社では「金凝神」として
十二宮に祀られています。


主な神社


阿蘇神社・諸神殿(熊本県)
皇居内・皇霊殿(東京都)


綏靖天皇・年表

紀元前632年神武天皇29年 (0歳)


誕生


紀元前618年・神武天皇42年 (14歳)


1月3日 皇太子となる


紀元前585年 ・神武天皇76年(48歳)


神武天皇崩御


紀元前582年・神武天皇76年の3年後 (51歳)


11月 手研耳命を射殺


紀元前581年 ・綏靖天皇元年(52歳) 


1月8日 天皇に即位。葛城に高丘宮を造る。


紀元前580年 ・綏靖天皇2年(53歳) 


1月 五十鈴依媛を皇后とする


紀元前578年 ・綏靖天皇4年(55歳)


4月 兄・神八井耳命が崩御


紀元前556年 ・綏靖天皇21年(77歳)


1月7日 磯城津彦玉手看尊を皇太子とする


紀元前549年・綏靖天皇33年 (84歳)


5月10日 病気になり崩御


紀元前548年安寧天皇元年


10月 桃花鳥田丘上陵に葬られた


略歴・年表は、
日本書紀を参考に作りました。

勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。

本日より、
日本書紀 巻第四
に登場した天皇を
まとめていきたいと思います。


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