日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 四十一
・百済、軍兵を乞う
・百済の使者、帰国する
・茅渟の海の光る樟
・内臣を百済に派遣する
・王辰爾、姓を賜る
十四年春正月十二日、
百済は、
上部德率科野次酒
(しゃうほうとくそちしなのししゅ)、
杆率禮塞敦(かんそちらいそくとん)等を
遣わして、
軍兵を乞いました。
十三日、
百済の使人、
中部杆率木刕今敦
(ちうほうかんそちもくらこむとん)、
河内部阿斯比多(かふちべのあしひた)等が、
帰国しました。
夏五月一日、
河内国が、
「泉郡(いずみのこおり)の
茅渟(ちぬ)の海の中に、
梵音(いのりのおと)があります。
震えるその響きは、
雷の聲のようです。
光彩(こうさい)が晃(ひか)り、
曜(かがや)き、
日の光のようです」
といいました。
天皇は心にあやしみ、
溝辺直(いけへのあたい)を遣わして、
(ここにただ直といって、名字を書かないのは、おそらく伝え写すさい、誤りうしなったのでしょう)
海に入って訪ね求めました。
この時、
溝辺直は、海に入って、
果たして樟(くす)の木が、
海に浮かんでてりかがやいているのを
見つけました。
遂に、
取って天皇に献じました。
画工に命じて、
仏像を二体、
造りました。
今、
吉野寺に光を放つ樟の像です。
六月、
内臣(名を欠く)を
百済に使いとして遣わしました。
いまなお、
良馬・二匹、
同船(もろきふね)・二隻、
弓・五十張、
矢・五十具を賜わりました。
勅して、
「請うところの軍は、
王の用いたいように」
といいました。
別に勅して、
「医博士(くすしのはかせ)、
易博士(やくのはかせ)、
暦博士(こよみのはかせ)等は、
よろしく、
番(つがい)で
参上したり帰ったりするように。
今の上の件の色(しな)人は、
まさに相代る年月に当たっている。
よろしく、
還る使に付けて相代るように。
また、
卜書、暦本、種々の薬物を送付するように」
といいました。
秋七月四日、
樟勾宮に幸しました。
蘇我大臣稲目宿禰
(そがのおおおみいなめのすくね)は、
勅に奉じ、
王辰爾(おうじんに)を遣わし、
船の賦(みつぎ)を数え、
録(しる)しました。
すぐに、
王辰爾をもって船長としました。
よって、
姓を賜わり、
船史(ふねのふびと)としました。
いまの船連の先です。
・梵音(いのりのおと)
=ぼんおん・1・大梵天王の発する清浄な越え。また、仏の妙なる音声。2・法会の作法である四箇の法要の一つ。3・読経の声。また、読経。4・梵語の音。また、梵語。印度の言語
・光彩(こうさい)
1・鮮やかな光。2・すぐれていて、よく目立つこと
・吉野寺
吉野郡大淀町世尊寺の地
・番(つがい)
交代
・色(しな)
種類
(感想)
欽明天皇14年春1月12日、
百済は、
上部德率科野次酒、
杆率禮塞敦らを派遣して、
軍兵を乞いました。
13日、
百済の使者、
中部杆率木刕今敦、
河内部阿斯比多らが、
帰国しました。
夏5月1日、
河内国が、
「泉郡の茅渟の海の中から、
梵音が聞こえてきます。
震えるその響きは、
雷の音のようです。
光彩が光り、耀き、
日の光のようです」
といいました。
天皇は心にあやしみ、
溝辺直を派遣して、
海に入って探し求めました。
この時、
溝辺直は、
海に入って、
結果、
樟(くす)の木が、
海に浮かんで
照り輝いているのを見つけました。
遂に、
取って天皇に献上しました。
画工に命じ、
仏像を二体、
造りました。
今、
吉野寺にある、
光を放つ樟の像です。
6月、
内臣を百済に使者として派遣しました。
良馬・二匹、
同船(もろきふね)・二隻、
弓・五十張、
矢・五十具を与えました。
勅して、
「請うところの軍兵は、
王の用いたいように」
といいました。
別に勅して、
「医博士、易博士、暦博士らは、
よろしく、
交代で参上したり帰ったりするように。
今の上の件の三博士の種類人は、
まさに交代の年月に当たっている。
よろしく、
帰国の使者に付けて交代するように。
また、
卜書、暦本、種々の薬物を送付するように」
といいました。
秋7月4日、
樟勾宮に行幸しました。
蘇我大臣稲目宿禰は、
勅を承り、
王辰爾を派遣し、
船の賦(みつぎ)を数え記録しました。
すぐに、
王辰爾を船長としました。
よって、
姓を与え、
船史としました。
いまの船連の先祖です。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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