リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 十六 ・舒明天皇12年の出来事 ・崩御



日本書紀 巻第二十三 
息長足日広額天皇 十六

・舒明天皇12年の出来事
・崩御



十二年春二月七日、
星が月に入りました。

夏四月十六日、
天皇は伊豫(いよのくに)から還りました。
廐坂宮(うまやさかのみや)に居ました。

五月五日、
大いに設齋(せつさい)をおこないました。

よってもって、
惠隱(えおん)僧(ほうし)に請いて、
無量寿経(むりょうじゅきょう)
を説かせました。

冬十月十一日、
大唐(もろこし)の
學問僧・清安(せいあん)、

學生の高向漢人玄理
(たかむくのあやひとげんり)が、

新羅を伝(へ)てから至りました。

なお、
百濟・新羅の朝貢の使も
共に従って来ました。

則ち各々、
爵(かうぶり)一級を賜りました。

この月、
百濟宮にうつりました。 

十三年冬十月九日、
天皇は百濟宮で崩じました。

十八日、
宮の北で殯(もがり)をしました。

これを百濟の大殯をいいます。

この時、
東宮開別皇子
(まうけのきみひらかすわけのみこ)は、

年十六で誄(しのびごと)をしました。



・無量寿経(むりょうじゅきょう)
大乗仏教の経典の一つ。
・爵(かうぶり)
冠位
・東宮開別皇子(まうけのきみひらかすわけのみこ)
のちの天智天皇



(感想)

舒明天皇12年春2月7日、
星が月に入りました。

星が月に入る?

どうやら、
惑星や恒星が月や惑星によって
おおい隠されて見えなくなる、
星食が起きたようですね。

見えていた星がいきなり消えた。
当時の人はさぞかし驚いたことでしょう。

夏4月16日、
天皇は伊予から還りました。
廐坂宮に居ました。

5月5日、
大いに設齋をおこないました。

よってもって、
恵隠僧に請いて、
無量寿経を説かせました。

冬10月11日、
大唐の学問僧・清安、
学生の高向漢人玄理が、
新羅を経て到着しました。

なお、
百済・新羅の朝貢の使者も
共に従って来ました。

則ち各々に、
冠位一級を与えました。

この月、
百済宮に遷都しました。 

舒明天皇13年冬10月9日、
天皇は百済宮で崩じました。

18日、
宮の北で殯(もがり)をしました。

これを百済の大殯をいいます。

この時、
後の天智天皇は、
年十六で誄(しのびごと)をしました。

即位13年で亡くなられた。

やたらと温泉に行幸するなぁ
と思っていましたが…

お体が丈夫ではなかった?

舒明天皇の御代は、
天変地異が多かったので、

心身共に
疲れてしまったのかもしれません。

さて、
皇太子がいらっしゃりますが、
16歳とお若い。

天皇の位は
どうなるのでしょうか?

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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