リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十二 ・新羅と任那、使者を派遣する



日本書紀 巻第二十二 豊御食炊屋姫天皇 四十二

・新羅と任那、使者を派遣する



三十一年秋七月、
新羅は、
大使、奈末智洗爾(なまちせんに)を
遣わし、

任那は、
達率奈末智(だちそちなまち)を遣わし、
並びに来朝しました。

なお、
仏像一具及び金塔(こがねのとう)と、
あわせて舎利(しゃり)を、
貢ぎました。

また大きな灌頂幡(かんじょうばん)一具、
小さな幡十二条。

すなわち、
仏像は、
葛野(かどの)の
秦寺(うつまさでら)に置き、

余りの舎利、金塔、観頂幡などは、
みな四天王寺に納めました。

この時、
大唐(もろこし)の学問者、
僧の恵斉(えさい)、
恵光(えこう)、

及び医の恵日(えにち)、
福因(ふくいん)等が、
並びに智先爾等に従って来ました。

ここにおいて、
恵日等は共に奏聞して、
「唐国に留学する学者は、皆、
学を成業(せいぎょう)しました。
喚すべきです。

また大唐国には、
法式(のり)が定まり備った珍しい国です。
常に通うべきです」
といいました。



・灌頂幡(かんじょうばん)
幡とは、仏教の儀式で用いる旗。灌頂幡は上部に天蓋(てんがい)という傘を備え、大幡(だいばん)や小幡(しょうばん)などを組み合わせて構成された豪華なもの
・葛野(かどの)
京都市右京区辺
・秦寺(うつまさでら)
蜂岡寺。のちの広隆寺
・成業(せいぎょう)
学業・事業をなしとげること



(感想)

推古天皇31年秋7月、

新羅は、
大使、奈末智洗爾を派遣し、

任那は、
達率奈末智を派遣し、

並びに来朝しました。

なお、
仏像一具および金塔と、
あわせて舎利を献上しました。

また大きな灌頂幡一組、
小さな幡十二条を献上しました。

そこで、
仏像は、葛野の秦寺に置き、

残りの舎利、金塔、観頂幡などは、
みな四天王寺に納めました。

この時、
大唐の学問者、
僧の恵斉、恵光、

および医師、
恵日、福因らが、
並びに智洗爾らに従って来ました。

ここにおいて、
恵日らは共に奏聞して、
「唐国に留学する学者は、皆、
学業をなしとげました。
召喚すべきです。

また大唐国には、
法式(のり)が定まり備った珍しい国です。
常に通うべきです」
といいました。

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明日に続きます。

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