リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 五 ・大兄王の告白 二



日本書紀 巻第二十三 
息長足日広額天皇 五

・大兄王の告白 二



卽ち、天皇は起きて、詔に臨んで、
『朕は、
寡薄(いやしいきみ)でありながら、
久しく大業に労してきました。

今、
歴運がまさに終わろうとしています。

病は諱(いむ)ことは避けられません。

故に、

汝は、
本から朕の心腹で、
愛寵(あいちょう)の情は
比べようがありません。

それ国家の大基は、
これ朕だけの世ではありません。

本より務(つと)めなさい。

汝は肝が稚(わか)いと言えども、
愼(つつしみ)をもって言いなさい』
といいました。

乃ち、
その時にあたり、
近習者が侍い、
ことごとく知っていることだ。

我はこの大恩をうけ蒙(こうむ)り、

ひとたび、
懼(おそ)れ、

ひとたび、
悲しみ、

踊躍歡喜(ゆやくかんぎ)して、
どうしていいのかわからなかった。

なお、
社稷宗廟(そうびょうしゃしょく)は
重事(ちょうじ)であり、

我は年が若く、
賢くない。

なぜ、
敢えて当たるだろうか。

この時にあたり、
叔父及群卿等と語りたいと思っていた、

然るに、
のべる時がなかった。

今まで言わなかっただけだ。

吾はかつて叔父の病を聞くために、
京の豊浦寺に居た。

この日、
天皇は
八口采女鮪女(やくちのうねめしびめ)を
遣わして、

詔して、
『汝の叔父・大臣は
常に汝のことで
愁言(なきごと)しています。

百歲の後も、
嗣の位に汝は当たらないと。

故に、
愼(つつしみ)をもって
自愛(じあい)しなさい』
といった。

既に、
この事は、
はっきりとしている。

なぜ疑うのだろうか。

然るに、
どうして、
我が天下を餮(むさぼ)ると。

ただ、
聞いたことを明らかにしているだけだ。

則ち、
天神地祇と共に證(あかし)してほしい。

ここをもちて、
冀(こいねが)う、

正しい天皇の遺勅を知りたい。

また、
大臣遣わした群卿は、
従来の嚴矛(いかしほこ)

(嚴矛、これは伊箇之倍虛(いかしほこ)といいます)

中を取り持つ如く、

事を奏請(そうせい)する人等だ。

故に、
叔父によく言っておくように」
といいました。



・寡薄(いやしいきみ)
=かはく・少なく乏しいこと。とくに人徳、見識などの少なくうすいこと。また、そのさま
・愛寵(あいちょう)
特別に目をかけてかわいがること。 寵愛
・踊躍歡喜(ゆやくかんぎ)
仏教で、おどりあがって、大いに喜ぶこと。信仰を得た際の喜びの表現
・社稷宗廟(そうびょうしゃしょく)
国家や朝廷、政府のこと
・重事(ちょうじ)
重大な事件。 大事。 大切な事柄
・自愛(じあい)
病気などしないよう自分を大切にすること2・自分の利益を図ること
・嚴矛(いかしほこ)
いかめしい矛。りっぱな矛。
・奏請(そうせい)
天子に、許しを下さるようにお願いすること



(感想)

前回のお話


すぐに、
天皇は起き上がり、
詔に臨んで、

『朕は、
人徳、見識などの少ない者でありながら、
久しく大業に労してきました。

今、
命がまさに終わろうとしています。

病を避けることは
できそうにもありません。

こういうわけで、

お前は、
元々朕の心腹で、
寵愛の情は他と比べようがありません。

それ国家の大基は、
これ朕だけの世ではありません。

本より努めなさい。

汝は思慮が若いと言えども、
慎みをもって言いなさい』
といいました。

つまり、
その時、
近習者がお側に仕えており、
皆が知っていることだ。

私はこの大恩を与えられ、

一度は、
おそれ、

一度は、
悲しみ、

おどりあがって、
大いに喜んだりしたが、
どうしていいのかわからなかった。

なお、
国家や朝廷のことは、
大切な事柄である。

私は年が若く、
賢くない。

なぜ、
無理に、
事に当たるだろうか。

この時にあたり、
叔父および群卿らに
語りたいと思っていたが、

しかし、
述べる時がなかった。

だから、
今まで言わなかっただけだ。

私はかつて叔父の病を見舞うために、
京の豊浦寺に居た。

この日、
天皇は八口采女鮪女を派遣して、
詔して、

『汝の叔父・大臣は
常にお前のことで
泣きごとを言っています。

百歲の後も、
日嗣の位にお前は当たらないと。

そういうわけで、
慎みをもって
自分を大切にしなさい』
といった。

既に、
この事は、
はっきりとしている。

なぜ疑うのだろうか。

しかし、
どうして、

我が
天下をむさぼると、

ただ、
聞いたことを明らかにしているだけだ。

則ち、
天神地祇と共にあかしてほしい。

ここをもちて、
願わくは、
正しい天皇の遺勅を知りたい。

また、
大臣遣わした群卿は、

従来、
いかめしい矛のなかを
取り持つようなものだ。

事を天子に、
許しを下さるようにお願いする人らだ。

こういうわけで、
叔父によく言っておくように」
といいました。

…何だか、
蘇我氏の話しと若干違いますね。

推古天皇が
山背大兄王に

お前は、
元々朕の心腹で、
寵愛の情は他と比べようがありません。

それ国家の大基は、
これ朕だけの世ではありません。

本より努めなさい。

汝は思慮が若いと言えども、
慎みをもって言いなさい」

と言ったと。

これは、
推古天皇が次の天皇は、
山背大兄王に
、と言っているのと同じことですね。

方や蘇我氏のいう
推古天皇の遺勅は、

『汝は、思慮が若い。
さわがしく言ってはいけません。
必ず群臣の言う事に従いなさい』


さて、どちらの言い分が正しいのか?

しかし、
どちらの話しも何だかピンときません。

もしかすると、
このお話は後世の人の捏造では?

どうにも、
蘇我氏を悪者

山背大兄王を善者

仕立てようとの意図が
見え隠れしているように思えます。

推古天皇が次の天皇に
山背大兄王をと望んでいたなら
もっと前に立太子していたと思うのです。

それに、
推古天皇からの大事な遺勅を
すぐに大臣に相談しないなんて
あるかいな!

今日のお話、

何度読み直し、
訳し直しても辻褄が合わず、

他の方の訳を読んでも
皆さん、バラバラで
よくわからんとです

正直、
自信ないです。
ごめんなさい。

さて、
今後はいかに。

明日に続きます。

読んでいきたき
ありがとうございました。


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