リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 四 ・大兄王の告白 一



日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 四

・大兄王の告白 一



ここにおいて、
大兄王(おおえのみこ)は、
問わせて、

「この遺詔は、
もっぱら誰人が聞いたのか」
といいました。

答えて、
「臣等は、
その細かいことは知りません」
といいました。

既に、
さらにまた、
群大夫等に啓(もう)しあげさせて、

「愛する叔父が心を労して、
一介の使いではなく、

重臣等を遣わして、
教え覺(さと)した。

これは大恩である。

然るに、
今、群卿がのべた
天皇の遺命(いめい)は、
我の聞くところとは少々違う。

吾は、
天皇が病に臥したと聞いて、
馳(は)せて上り、

門下(みかきもと)に
侍(さぶら)っていた。

時に、
中臣連弥気(なかとみのむらじみけ)が、
禁省(みやのうち)から出てきて、

『天皇が命です。
喚(よ)んでいます』
といった。

則ち、参り進んで、
閤門(うちつみかど)に向かった。

また、
栗隈采女黒女
(くるくまのうねめくろめ)が、
庭中で迎えて、
大殿(おおとの)に引き入れた。

ここにおいて、
近習者(ちかくつかえまつるもの)、
栗下女王(くるもとのひめみこ)を
首(このかみ)として、

女孺(めのわらわ)、
鮪女(しびめ)等八人、

併せて数十人が
天皇の側に侍(さぶら)っていた。

田村皇子も在り。

時に、
天皇が病に沈み、
我を見ることができなかった。

乃ち、
栗下女王が奏して、
『喚んだ山背大兄王が参り赴きました』
といった。



・遺命(いめい)
死後のために残した言いつけ・命令
・禁省(みやのうち)
=きんしょう・宮中の役所。 禁中の役所。 また、宮中。 きんせい。宮中
・閤門(うちつみかど)
=こうもん・内裏(だいり)の内郭の門。 衛門の警備する外郭の宮門(建礼門など)
の内側の諸門で兵衛が守る
・女孺(にょじゅ/めのわらわ)
後宮において内侍司(ないしのつかさ)に属し、掃除や照明をともすなどの雑事に従事した下級女官)



(感想)

前回のお話


この時、
大兄王は、
問わせて、

「この遺詔は、
もっぱら何人が聞いたのか?」
といいました。

答えて、
「私どもは、
その詳細は知りません」
といいました。

既に、
さらにまた、
群大夫らに申し上げさせて、

「親愛なる叔父が心労して、

一介の使者ではなく、
重臣らを派遣して、
教え諭している。

これは大恩である。

しかしながら、

今、
群卿が述べた天皇の遺命は、
私の聞いたこととは少々違う。

私は、
天皇が病に臥したと聞いて、

駆けつけて、
門下に待機していた。

その時、
中臣連弥気が、
宮中から出てきて、

『天皇の命令です。
呼んでいます』
といった。

そこで、参り進んで、
閤門に向かった。

また、
栗隈采女黒女が、
庭中で迎えて、
大殿に引き入れた。

この時、
近習者の栗下女王を長として、

女孺・鮪女たち八人、
あわせて数十人が
天皇のお側で仕えていた。

田村皇子もいた。

この時、
天皇は病に沈み、
我を見ることができなかった。

この時、
栗下女王が奏して、

『呼んだ山背大兄王が参り赴きました』
といった。

さて、

山背大兄王は、
自分が聞いた
推古天皇の遺命と

蘇我蝦夷臣の言っている
推古天皇の遺命が

違うと反論してきました。

果たして、

山背大兄王の聞いた
推古天皇の遺命とは、
どのような内容だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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