日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 二十四
・百済、的臣等の退却を請う
新羅は、
春に卓淳(とくじゅん)を取りました。
かさねて、
我が久礼山(くれむれ)の
武器を持って守る兵を、
擯出(ひんしゅつ)し、
遂に有しました。
安羅に近い処は、
安羅が耕種(こうしゅ)していました。
久礼山に近い処は、
斯羅が耕種していました。
各々自ら耕して、
相、侵奪(しんだつ)しませんでした。
移那斯(えなし)と麻都(まつ)は、
他の境を越えて耕し、
六月に逃げ去りました。
後に、
印支弥(いきみ)が来ました。
許勢臣(こせのおみ)の時、
(百済本記は云う、
印支弥を留めた後に、既洒臣(こせのおみ)が至る時に、と。皆未詳です)
新羅もまた、
他の境を侵略することはありませんでした。
安羅も、
新羅のために攻められ、
耕種することができないとは、
いいませんでした。
臣は、
聞くことをこころみたところ、
新羅は春秋のたびに、
多くの兵甲(つわもの)を聚(あつ)め、
安羅と荷山(のむれ)を
襲おうとおもっていた、と。
或いは、
まさに加羅を襲おうとしている、
と聞きました。
このころ、
書信(しょしん)を得ました。
すぐに将兵を遣わして
任那を擁護し守るよう、
気を抜き休息することがありませんでした。
頻りに鋭兵を発して、
時に応じて往き救いました。
ここをもちて、
任那は、
序に随い耕種し、
新羅も敢えて侵略しませんでした。
よって、
『百済は、路が遠く、
よく救急することができず、
よって、
的臣等が新羅に往来したことにより、
耕種することを得た』
と奏するのは、
これ、
上は天朝を欺く、
奸佞(かんねい)です。
このようにあきらかなことでも、
天朝を欺きました。
余りの虚ろな妄(みだ)りなことは、
必ず多くあるでしょう。
的臣等が、
なおも安羅に住んだなら、
任那国は、
恐らく建立することは難しいでしょう。
よろしく、
早く退却させるべきです。
・卓淳(とくじゅん)
卓淳、大邱辺
・耕種(こうしゅ)
田畑を耕し、作物をつくること
・擯出(ひんしゅつ)
こばむこと。追放すること。擯斥
・侵奪(しんだつ)
おかしうばうこと。侵略
・兵甲(つわもの器)
兵士・武
・書信(しょしん)
書簡による音信。手紙。たより
・奸佞(かんねい)
心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと
(感想)
新羅は、
春に卓淳を略取りました。
かさねて、
我が久礼山の武器を持って守る兵を追放し、
遂に占有しました。
安羅に近い処は、
安羅が田畑を耕し、
作物を作っていました。
久礼山に近い処は、
新羅が田畑を耕し、
作物を作っていました。
各々、自らの処を耕して、
互いに、
他の処を侵略しませんでした。
しかし、
移那斯と麻都は、
他の境を越えて耕し、
六月に逃げ去りました。
後に、
印支弥が来ました。
その後、
許勢臣の時、
新羅もまた、
他の境を侵略することはありませんでした。
安羅も、
新羅のために攻められ、
耕種することができないとは、
いいませんでした。
臣が聞いたところ、
新羅は春秋のたびに、
多くの兵士・武器を集め、
安羅と荷山を襲おうと思っていた、と。
或いは、
まさに加羅を襲おうとしている、
と聞きました。
このころ、
書簡による音信を得ました。
すぐに兵士を派遣して
任那を擁護し守るよう、
気を抜き休息することがありませんでした。
頻りに鋭兵を発して、
時に応じて往き救いました。
ここをもちて、
任那は、季節にしたがい田畑を耕し、
作物を作り、
新羅も敢えて侵略しませんでした。
よって、
『百済は、路が遠く、
よく救急することができず、
よって、
的臣等が新羅に到着したことにより、
耕種することを得た』
と報告するのは、
これは、
上は天朝を欺き、
心が曲がっていて悪賢いことです。
このようにあきらかなことでも、
天朝を欺きました。
余りの虚ろな妄言は、
他にも必ず多くあるでしょう。
的臣等が、
なおも安羅に住んだなら、
任那国は、
恐らく建立することは難しいでしょう。
よろしく、
早く退却させるべきです。
明日に続きます。
読んで頂きありがとうございました。
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