日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 三十五
・百済、使いを派遣する
・百済の報告を聞き詔する
夏四月三日、
百済は、
中部杆率掠葉礼
(ちうほうかんそちけいせふらい)を
遣わして奏して、
「德率宣文(とくそちせんもん)等が、
勅を奉じて臣の蕃(くに)に至り、
『乞うところの救いの兵は、
時に応じて送ろう』
といいました。
つつしんで恩詔を承け、
喜慶(きけい)すること限りなく。
然るに、
馬津城(ましんのさし)の役で、
(正月辛丑(かのとうし)、
高麗は、兵を率い、馬津城を囲みました)
捕虜が語って、
「安羅国と日本府とが、
招来し、伐つよう勧めたからだ」
といいました。
事を況に准(なぞ)らえると、
まとこにそういないと。
しかも、
審(つまび)らかにしたいと、
三回、召し、遣わしましたが、
並びに来ませんでした。
故に、
深く心を労しています。
伏して願うは、
可畏(かしこ)き天皇よ、
(西の蕃(となりのくに)は皆、日本天皇を「可畏(かしこ)き天皇(すめらみこと)ともうしています)
先に、
勘当(かむがえ)してください。
しばらく、
乞うた救いの兵を停して、
臣が報(しら)せを遣わすのを
待ってください」
といいました。
詔して、
「呈(しめ)した奏を聞いて、
そこで憂うところをみてみると、
日本府と安羅とが、
隣の難を救わないのは、
また、
朕も疾(いたむ)ところである。
また、
密かに高麗に使いをしたとは、
信じてはならぬ。
朕が命じたなら、
自ずと遣わすだろうが、
命じておらず、
どうしてそんなことができようか。
願わくは王よ、
襟を開き、
帯を緩めて、
恬然(てんぜん)とし、
安らかにして、
深く疑わず懼(おそ)れずにいてくれ。
よろしく、
任那と共に、
前の勅のまま、
戮力(りくりょく)して
俱(ともに)北敵を防ぎ、
各々の封じられた所を守るのだ。
朕はまさに若千の人を送り、
安羅が逃亡した空き地に充実させよう」
といいました。
六月二日、
遣使して百済に詔し、
「德率宣文(とくちせんもん)が
帰国して以後
また、
どうであるか。
消息(あるかたち)は
どうだろうか。
朕が聞くに、
汝の国が、
狛の賊に害されたと。
よろしく、
任那と共に、
策を練り、
謀を同じくし、
前の如く防ぐように」
といいました。
閏七月十二日、
百済の使人、
掠葉礼(けいせふらい)等が帰国しました。
冬十月、
三百七十人を百済に遣し、
得爾辛(とくにし)に城を助け築きました。
・喜慶(きけい)
よろこびのこと
・勘当(かむがえ)
=かんどう・罪を法に当てて考えること
・恬然(てんぜん)
物事にこだわらず、平気でいるさま。平然と落ち着いたようす。
・戮力(りくりょく)
力を合わせること。協力
・消息(あるかたち)
現状
(感想)
(欽明天皇9年)
夏4月3日、
百済は、
中部杆率掠葉礼らを派遣して奏して、
「德率宣文等が、
勅を奉じて私の国に到着し、
『乞うところの救援の兵は、
時に応じて送ろう』
といいました。
つつしんで恩詔を承け、
喜ぶこと限りなく。
しかしながら、
馬津城の戦役で、
捕虜が語って、
「安羅国と日本府とが、
高麗を招来し、
百済を伐つよう勧めたからだ」
といいました。
事を状況になぞらえると、
まとこにそういないと。
しかも、
つまびらかにしたいと、
三回、
安羅国と日本府とを召集しようと、
使者を派遣しましたが、
並びに来ませんでした。
故に、
深く心を労しています。
伏して願うは、
可畏(かしこ)き天皇よ。
先に、
罪を法に当てて考えてください。
しばらく先に
乞うた救援の軍を停止して、
臣が知らせの遣使をするのを
待ってください」
といいました。
詔して、
「百済の示した奏言を聞いて、
そこで憂うところをみてみると、
日本府と安羅とが、
隣国、百済の困難を救わないのは、
また、
朕の痛むところである。
また、
密かに高麗に使いをしたとは、
信じてはならぬ。
朕が命じたなら、
自ずと遣わすだろうが、
命じておらず、
どうしてそんなことができようか。
願わくは王よ、
襟を開き、
帯を緩めて、
物事にこだわらず、
平気とし、
安らかにして、
安羅と日本府を
深く疑わず、
懼(おそ)れずにいてくれ。
よろしく、
任那と共に、
前の勅のまま、
力を合わせること。
協力して、
俱(ともに)北敵を防ぎ、
各々の封じられた所を守るのだ。
朕はまさに若千の人を送り、
安羅が逃亡した空き地に充実させよう」
といいました。
6月2日、
遣使して百済に詔し、
「徳率宣文が帰国して以後、
また、
どうであるか。
現状はどうだろうか。
朕が聞くに、
汝の国が、
狛の賊に害されたと。
よろしく、任那と共に、
策を練り、謀を同じくし、
前の如く防げ」
といいました。
閏7月12日、
百済の使人、椋葉礼(けいしょうらい)等
が帰国しました。
冬10月、
三百七十人を百済に派遣し、
得爾辛(とくにし)に城を助け築きました。
明日に続きます。
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