日本の神様
事代主神
(ことしろぬしのかみ)
日本神話に登場する神
大国主神と神屋楯比売命の子
国譲りの際、父・大国主神に国を天津神の御子に譲るよう進言し、海中に八重蒼柴籬(やえあをふしかき)を造り、去って行った。
別名
八重事代主神
八重言代主神
玉櫛入彦厳之事代神
都味歯八重事代主神
積羽八重事代主命
辞代主神 等
神格
託宣の神
漁業の神
鰐神
「日本書紀」では
国譲りの段で登場しています。
二神は、出雲の国の五十田狭の小浜に降りたち、十握剣を抜いて、大地に突き刺しました。そして、その先に胡座をかいて、大己貴神に、問いました。「高皇産霊尊は、皇孫を降ろし、この地に君として君臨させたいと思っていらっしゃる。それでまず我々二神が邪神を追い払い、平定するため遣わした。お前の意はどうだ。退くか、退かぬか」大己貴神はその問いに、「我が子に問うべきでしょう。そのあとにお答えしましょう」答えました。この時、その子、事代主神は、出雲の国の三保の崎に遊びに行き、魚を釣って楽しんでいました。
葦原中国平定の命を受けた、武甕槌神(たけみかつちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)は、出雲の国の五十田狭(いたさ)の小浜に降りたち大己貴神に、「高皇産霊尊は、皇孫を降ろし、この地に君として君臨させたいと思っていらっしゃる。お前の意はどうだ。退くか、退かぬか」問いました。
大己貴神はその問いに対して、「我が子に問うべきでしょう」答えました。
この時、大己貴神の子・事代主神は、出雲の国の三保の崎に遊びに行き、魚を釣って楽しんでいました。
そこで二神は、稲背脛(いなせはぎ)を派遣し、高皇産霊尊の勅を事代主神に届けました。
事代主神は使者に「我が父は退き奉るのがよいでしょう。私も異論はありません」と語ると、海中に八重蒼柴籬(やえあをふしかき)を造り、去って行きました。
「古事記」では
本文では、このように登場しています。
大国主神が、また、神屋楯比売命と結婚して生まれた子は、事代主神。
大国主神と神屋楯比売命との間に生まれた神です。
国譲りの段では、
葦原中国平定の命を受けた、建御雷神と天鳥船神の二柱の神は、葦原中国の大国主神に問いたずねて、「お前が占有している葦原中国は、我らの御子が統治すべき国である、とご委任された。これにつき、お前の思いを聞きたい」といいました。
これに大国主神が、「私はお答えできません。我が子、八重言代主神、これがお答えするでしょう」と答えました。
しかし、八重言代主神鳥や魚の漁をするために、御大の岬に行って、まだ帰って来ていませんでした。
そこで、天鳥船神を派遣して、八重言代主神を呼び寄せて、問うと、父の大神に語って、「この国は、天津神の御子に献上いたしましょう」といいました。
そして、乗って来たその船を踏み傾けて、天の逆手という、普通とは違った打ち方をする柏手 (かしわで) をして、船を青い柴垣に変えて、その中に隠れてしまいました。
祀る神社
美保神社
(島根県松江市)
鴨都波神社
(奈良県御所市)
長田神社
(兵庫県神戸市)
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。