リートリンの覚書

日本書紀 巻第十 譽田天皇 二 ・天皇の皇后・妃と子どもたち


日本書紀 巻第十 譽田天皇 二

・天皇の皇后・妃と子どもたち



神功皇后摂政六十九年夏四月、
皇太后が崩御しました。
(時に年は百歳)

元年春正月一日、
皇太子が即位しました。
この年、太歳は庚寅(かのえとら)

二年春三月三日、
仲姫(なかつひめ)を皇后に立てました。
后は、荒田皇女(あらたのひめみこ)
大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと) 
根鳥皇子(ねとりのみこ)を生みました。

これより先に天皇は、
皇后の姉・高城入姫(たかきのいりひめ)を妃とし、
額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)
大山守皇子おおやまもりのみこ
去来真稚皇子(いざまわか
大原皇女(おおはらのひめみこ)
澇来田皇女(こむくたのひめみこ)
を生みました。

また次の妃
皇后の妹の弟姫(おとひめ)は、
阿倍皇女(あへのひめみこ)
淡路御原皇女(あわじのみはらのひめみこ)
紀菟野皇女(きのうののひめみこ)
を生みました。

次の妃の和珥臣(わにのおみ)の祖である
日触使主(ひふれのおみ)の娘、
宮主宅媛(みやぬしやかひめ)は、
菟道稚郎子皇子うじのわきいらつこのみこ
矢田皇女(やたのひめみこ(仁徳天皇皇后)
雌鳥皇女(めとりのひめみこ)
を生みました。

次の妃の宅媛(やかひめ)の妹、
小甂媛(おなべひめ)は、

(こなべひめ・小は烏儺謎(おなべ)と読みます)

菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつめのひめみこ)
を生みました。

次の妃の、
河派仲彦(かわまたなかつひこ)の娘、
弟媛(おとひめ)は、
稚野毛二派皇子(わかぬけのふたまたのみこ)

(わかのけふたまた・派は摩多(また)と読みます)

を生みました。

次の妃の、
櫻井田部連男鉏
(さくらいのたべのむらじおさひ)
の妹、
糸媛(いとひめ)は、
隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)
を生みました。

次の妃、
日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)は、
大葉枝皇子(おおはえのみこ)
小葉枝皇子(おはえのみこ)
を生みました。

およそこの天皇の男女は、
合わせて二十王です。

根鳥皇子は、是は大田君の始祖です。

大山守皇子、
是は土形君(ひじかたのきみ)
榛原君(はりはらのきみ)
二(氏)族の始祖です。

去来真稚皇子は、
これは、深河別(ふかかわわけ)の始祖です。


感想

応神天皇も子沢山。
今日は名前だけの記事になりました💦

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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