日本書紀巻第七 登場人物 一
稚倭根子
(わかやまとねこのみこ)
一伝では、景行天皇の第三子
母は、稲日大郎姫と伝えられている
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“一書では、皇后は三男を生みました。その第三を稚倭根子と伝えています。”
一伝では、
皇后・稲日大郎姫(いなひのおおいらつめ)は
三男を生みました。
第一は大碓(おおうす)皇子、
第二は小碓(おうす)尊、
その第三を稚倭根子と伝えています。
名前のみの登場で、
詳しい活躍は記載されていません。
菟道彦
(うじひこ)
紀直の遠祖
武内宿禰の祖父
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“紀直の遠祖菟道彦の娘の影媛を娶り、武内宿禰が生まれました。”
紀直(きあたい)の遠祖
武内宿禰(たけしうちのすくね)の祖父です。
巻第七では名前のみの登場で、
詳しい活躍は記載されていません。
影媛
(かげひめ)
武内宿禰の母
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“紀直の遠祖菟道彦の娘の影媛を娶り、武内宿禰が生まれました。”
武内宿禰(たけしうちのすくね)の母です。
巻第七では名前のみの登場で、
詳しい活躍は記載されていません。
弟媛
(おとひめ)
父は八坂入彦皇子
同母姉は、八坂入媛命
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“この国に佳人がおります。弟媛といいます。”
景行天皇4年2月11日、
景行天皇は美濃(みの)に
行幸しました。
この国に弟媛という美人が居ると聞き、
妃にしたいと思われて、
弟媛の家に出かけましたが、
弟媛は、竹林に隠れました。
そこで天皇は、
弟媛が至るようにはかり、
泳宮(くくりのみや)に居て、
鯉を池に放しました。
弟媛はその鯉が遊ぶのを見たいと思い、
密かにきたところ。
天皇は引き留めて情交しました。
しかし、
弟媛は結婚することを望んでおらず、
かわりに姉の八坂入媛(やさかいりひめ)
を薦めました。
天皇はそれを承諾し、
姉・八坂入媛を妃に迎えました。
五百城入彦皇子
(いおきいりひこ)
景行天皇の皇子
母は八坂入媛
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“八坂入媛を呼びだして妃としました。七男六女を生みました。第一は稚足彦(成務)天皇といいます。第二を五百城入彦皇子といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇子です。
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
景行天皇の息子・娘は、
全てあわせて八十子です。
その中で、
日本武尊と稚足彦天皇と
五百城入彦皇子を除いて、
別の七十余子は、
皆、国郡の領主とし、
各々その国に行きました。
忍之別皇子
(おしのわけのみこ)
景行天皇の皇子
母は八坂入媛
・別名
押別命(おしのわけのみこと)
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第三は忍之別皇子といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇子です。
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
稚倭根子皇子
(わかやまとねこのみこ)
景行天皇の皇子。
母は八坂入媛
・別名
倭根子命(やまとねこのみこと)
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第四が稚倭根子皇子といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇子です。
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
大酢別皇子
(おおすわけのみこ)
景行天皇の皇子
母は八坂入媛
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第五を大酢別皇子といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇子です。
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
「古事記」では
古事記には記載がありません。
渟名城皇女
(ぬなきのひめみこ)
景行天皇の皇女
母は八坂入媛
・別名
沼名木郎女(ぬなきのいらつめ)
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第七が渟名城皇女といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇女
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
五百城入姫皇女
(いおきいりひめのおうじょ)
景行天皇の皇女
母は八坂入媛
・別名
五百木之入日売命
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第八は五百城入姫皇女といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇女
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
麛依姫皇女
(かごよりひめのひめみこ)
景行天皇の皇女
母は八坂入媛
・別名
香余理比賣命(かよりひめのみこと)
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第九を麛依姫皇女といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇女
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
吉備兄彦皇子
(きびのえひこのみこ)
景行天皇の皇子
母は八坂入媛
・別名
吉備之兄日子王(きびのえひこのみこ)
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第十一を吉備兄彦皇子といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇子
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
高城入姫皇女
(たかきいりひめのひめみこ)
景行天皇の皇女
母は八坂入媛
・別名
高木比賣命(たかきひめのみこと)
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第十二が高城入姫皇女といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇女
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。
弟姫皇女
(おとひめのひめみこ)
景行天皇の皇女
母は八坂入媛です。
・別名
弟比賣命(おとひめのみこと)
「日本書紀」では
日本書紀巻第七では、
このように登場しています。
“第十三は弟姫皇女といいます。”
景行天皇(けいこう)の皇女
母は八坂入媛(やさかいりひめ)。
詳しい活躍は記載されていません。