リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 九 ・境部臣一族の死



日本書紀 巻第二十三 息長足日広額天皇 九

・境部臣一族の死



大臣はまさに、
境部臣(さかいべのおみ)を殺そうと、
兵を興し遣わしました。

境部臣は、
軍がいたると聞いて、

仲子(なかち)の阿椰(あや)を率いて、
門に出て、
坐胡(あぐら)にすわり侍りました。

時に、
軍が至り、

乃ち、
来目物部伊區比
(くめのもののべいくい)に
命令して絞(し)めさせました。

父子、共に死にました。

乃ち、
同じ所に埋めました。

ただ、
兄子の毛津(けつ)は、

尼寺の瓦舎(かわらや)に
逃匿(とうとく)し、

卽ち、
一、二の尼を犯しました。

ここにおいて、
一の尼が嫉妬してあきらかにしました。

寺を囲み、
捕らえようとしました。

乃ち、
出て、
畝傍山(うねびやま)に入りました。

よってもって、
山を探しました。

毛津は逃げても、
入る所がありませんでした。

頸を刺し、
山中で死にました。

時の人は歌って、 

畝傍山 木立は薄いけれど 頼みにして 
毛津の若子が 籠ったのでしょう



・境部臣(サカイベノオミ)
境部摩理勢
・仲子(ナカチ)
兄弟の中の子
・逃匿(とうとく)
にげかくれること



(感想)

あらすじ

境部臣は、
山背大兄を天皇に、
と推挙して
大臣と違えました。

その後、
蘇我氏一族は、
蘇我馬子大臣のために墓を造り、
墓所に泊まっていました。

ここで、
境部摩理勢は
墓所の廬(いおり)を破壊して、

従わず、
ついに斑鳩に赴き、
泊瀬王宮に住みました。

しかし、
山背大兄王は、
争いを避けたいとして、
摩理勢臣を拒みました。

さて、
拠り所を失った摩理勢臣は…


蘇我蝦夷大臣は、
境部摩理勢を殺そうと、
兵をおこして派遣しました。

境部臣は、
軍勢が到着すると聞いて、

兄弟の中の子・阿椰を率いて、
門に出て、
坐胡にすわり待機しました。

時に、
軍勢が到着し、

来目物部伊區比に命令して、
首をしめて殺させました。

父子、共に死にました。

乃ち、
同じ所に埋めました。

ただ、
兄子の毛津は、
尼寺の瓦舎に逃げかくれ、

すぐさま、
一、二人の尼を犯しました。

オイオイ、
危機が迫っているのに、
何やっているのやら…

ここにおいて、
一人の尼が嫉妬して

毛津の居場所を
外に告げて明らかにしました。

軍が寺を囲み、
捕らえようとしました。

しかし、
毛津は寺を出て、
畝傍山に入りました。

そこで、
山を探しました。

毛津は逃げても、
入る所がありませんでした。

首を刺し、
山中で死にました。

時の人は歌って、 

畝傍山 木立が少ないのに 
それすら頼みにして 
毛津の若子は 籠ったのでしょう

蘇我氏のお家騒動
境部臣の一族が討たれる事で終わりました。

親戚同士で争うとは、
何だか悲しいですね。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。


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