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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第93景 「木母寺内川御前栽畑」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景を訪ねて
第93景 「木母寺内川御前栽畑」


隅田川を背に木母寺方向を望んでいます。

当時、木母寺境内には料理屋が数軒ありました。その中の一つが右側中央に描かれている建物、「植半(うえはん)」です。

作品の縦に流れる川は内川で、二人の芸妓が座敷船から降り立ち料理屋へ向かう姿が描かれています。

内川の左側は幕府の御前栽畑です。
 

木母寺



(出典・Wikipedia)

寺伝によりますと、976年(貞元元年)忠円という僧が、この地で没した梅若丸を弔い、塚をつくり、その傍らに建てられた梅若寺と名づけて開かれました。

梅若丸は、「吉田少将惟房」という名の貴族の子でしたが、梅若丸が5歳の時に父を亡くし、7歳で出家。比叡山延暦寺に入りましたが、兵乱に遭い逃げる途中、人買いに騙されて、この地まで連れてこられたといいます。

明治に入ると、神仏分離に伴い「梅若神社」となりましたが、1888年(明治21年)に寺として再興されました。その後、白髪防災団地の建設に伴い、現在の場所に移転しました。
 

植半
(うえはん)


江戸幕府三代将軍徳川家光の頃に木母寺の参拝客を相手に腰掛茶屋を開いたのが始まりです。
 

東白鬚公園
(ひがししらひげこうえん)



東白鬚公園は、東京都墨田区堤通二丁目にある東京都立の公園です。

墨田区の北端、隅田川に沿うように南北に細長い公園です。

公園の東側には、高層住宅が並んでいます。

もしも災害が起きた時は、避難広場となります。
 


描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。




描かれた場所はおそらく、隅田川と水神社を背にした場所から木母寺方面を望んだと思われます。

現在その場所は、東白鬚公園となっています。

内川は埋め立てられその姿は消えてしまいました。

しかし、緑豊かな公園となり、当時の名残が感じられました。
 


最後に

芸妓さんが料理屋を訪れる姿が描かれていることから、夕暮れ時の一コマを描いたものだと思われます。

秋の夕暮れ、虫の声、カラスの鳴き声が聞こえてきそうな作品です。

作品に登場している料理屋「植半」は、芋・シジミ・卵焼きが有名だったそうです。

卵焼き、美味しそう。

江戸時代末期には甘い厚焼き卵ができたそうです。

「植半」の卵焼きも甘かったのでしょうか?

あっ、絵とは関係ないお話になってしまいましたね。

事前の下調べが不十分で木母寺を訪れませんでした。うっかり。映像はWikipediaからお借りしました。





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅

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